7月10日放送のチコちゃんに叱られる!で
なぜ日本中の池や湖にスワンボートがある?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!なぜ日本中の池や湖にスワンボートがある?
なぜ日本中の池や湖にスワンボートがある?
答えは、良夫がしっぽをつけたから
詳しく教えてくださるのは
明治時代から続くボート製造会社で会長を務める80歳
群馬・邑楽郡 株式会社 スナガ 会長
砂賀 良夫 先生(すなが よしお)
- 砂賀さん「スワンボートを生み出したのは私です」
- 砂賀さん「あの製品が生まれなかったら…この会社の存続というのは 本当に厳しかったですよね」
- なぜか 田口トモロヲさんのナレーションで…
- 日本の池や湖は スワンボートであふれている。
- あの愛くるしい姿を見ると 乗らずにはいられなかった。
- 開発に挑んだのは 白鳥に魅せられた 町工場の若手専務。
- これは たった一代で水辺に革命を起こした男の挑戦の物語である。
- ここからはプロジェクトX風にチコジェクトX挑戦者たち
- BGMはもちろん 中島みゆき「地上の星」
- 昭和49年・第二次ベビーブーム・法律改正・ボートが消えた・水辺を救え・足でこげ・子供に不人気・何かが足りない・多々良沼の軌跡
- 羽ばたけ! 白鳥のように ~スワンボート誕生物語~
- 第二次ベビーブームに沸いていた昭和49年
- 家族で楽しめるレジャー ボートは大盛況だった。
- 町のボート製造会社 株式会社 スナガ 専務 砂賀 良夫 34歳。
- 子供達が喜ぶボート作りに 励んでいた。
- 砂賀「その当時は やっぱしエンジン付きのモーターボート等を製作しておりました」
- 当時は手漕ぎボートに加え 免許が無くても乗れた小型のエンジン付きボートが人気だった。
- 子どもたちは夢中になった。
- だが…事故が後を絶たず 法律が改正された。
- 水辺からエンジン付きボートが消え 人がまばらになった。
- 砂賀「商売にならない まあ 四苦八苦の時代が来たなぁ」
- また 子どもたちに喜んでもらうには…どうすればいいんだ!
- 良夫は当時はやっていた物に目をつけた。
- 砂賀「陸上では観光施設の場所というのはサイクリングの自転車等がだいぶ盛んにありました」
- 砂賀「何とか このボートにも足で遊べる物はということで 足漕ぎボートはということで最初 製品をつくりまいたわね」
- 昭和50年 良夫は自転車のペダルのように 足で漕ぐボートを開発した。
- ボートだけに波に乗って売れると思ったが…デザインが地味だった。
- 足漕ぎボートが売れない。
- どうすればいいのか…
- 砂賀「何か 子供さんに親しめるデザインで商品化できないんか という ご意見も いろいろありました」
- 子どもが親しめるデザイン 良夫のボートは進路を見失った。
- そんなある日 良夫は会社の近くにある多々良沼(群馬)に向かった
- そのときだった…白鳥が 飛んできた これだ!
- 砂賀「真っ白なイメージで それが凄く素晴らしく見えたんですよね」
- 昭和56年 白鳥型の足漕ぎボート スワンボートが誕生。
- しかし…売れなかった。
- こんなにかわいいのに…なぜ売れないんだ!
- オレのスワンボートには…何が足りないんだ。
- 多々良沼に何度も通い 白鳥を見続けた。
- やっぱし現地行って もう本当に何十回 半日も粘ってみたり 写真撮ったり…
- 苦節2年 良夫はスワンに しっぽを付けた。
- 売れた! バカ売れした。
- 日本中に白鳥が…舞い降りた。
- 砂賀「後ろ側に 尾っぽのデザインを取り付けましたら それで評判がよくなり」
- 砂賀「子供さん家族連れなんかが『あっ!スワンに乗りたい スワンに乗りたい』ちゅう声が出て」
- 砂賀「ご注文いただいても もう2か月待ちとか3か月待ちになるという」
- ただただ しっぽを付けた…だけだった。
- さらに…パンダも売れた。
- コアラも…売れた。
- 白鳥は でっかくなった。
- スワンボート誕生から およそ40年。
- ボート以外のレジャーが 多様化した今も当時と変わらず…
- スワンボートはひっそりと 一つ一つ手作りされている。
- 砂賀「今後は時代とともに 会社を存続するためにも 新しい商品の開発に一生懸命 精進していきたいというふうに思っとります」
- 今なお 日本の池や湖には 新たなスワンちゃんが飛来している。
- 家族や子供たちの笑顔を 乗せ続けるために…
チコちゃんに叱られる!なぜ日本中の池や湖にスワンボートがある? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!なぜ日本中の池や湖にスワンボートがある?
について情報発信させていただきました。