5月24日放送のチコちゃんに叱られる!で
なぜ大阪のおばちゃんは派手?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!なぜ大阪のおばちゃんは派手?
なぜ大阪のおばちゃんは派手?
答えは、将軍様のいうことを聞かなかったから
詳しく教えてくださるのは
大阪の文化を研究している
大阪・東大阪市 相愛大学 大阪学 客員教授
前垣和義 先生(まえがき かずよし)
- 江戸時代以前は経済的にゆとりがなかったため質素な恰好をしていたそうです。
- 派手になるのは江戸時代に入ってからだそうです。
- 派手になった理由の一つとして町人文化の発達があるそうです。
- 古くから派手に着飾ることができたのは主に貴族など特権階級の女性たちだけだったそうです。
- それが庶民たちにも浸透したのは江戸時代だそうです。
- それまでの戦国時代と違って争いごともおさまってきたからだそうです。
- 江戸時代は世の中が安定して商業が発展し庶民が経済力を持ち町人文化が誕生したそうです。
- そこで誕生したのが元禄文化だそうです。
- 生活にゆとりができた町人たちが作りあげた華やかさが特徴の文化だそうです。
- (文芸・学問・芸術分野が発展 華麗で人間的な作品が特徴)
- この時代に町人たちが息抜きに楽しんでいたのが歌舞伎や浮世絵でやがて流行の発信源になっていったそうです。
- 歌舞伎役者の着物 髪型 化粧を取り入れたいとファッションリーダーたちを憧れて町人が
まねをしていったそうです。 - あこがれの歌舞伎役者たちをまねするようになった町人たち特に女性たちの着物の派手さ
が目立つようになるそうです。 - 大きな花柄をあしらった着物や色とりどりの細かい柄の着物など、かなり派手だそうです。
- 江戸時代の女性たちは自由におしゃれを楽しむようになっていったそうです。
- しかし、江戸幕府のある政策によって自由な風潮が一変してしまったそうです。
- それは天保12年に行われた「天保の改革」だそうです。
- 「天保の改革」とは12代将軍 徳川家慶のときにおこなわれた経済政策だそうです。(財政を立て直すため問屋仲間の解散貨幣改鋳などを行った。)
- これにより江戸幕府は倹約令を実施しぜいたく品は取締りの対象に。
- その結果、日本中の女性たちは派手な身なりから質素な身なりになったそうです。
- しかし、日本で唯一変わらなかった町が大阪だったそうです。
- 大阪は天下の台所と呼ばれ物流の中心地で圧倒的に町人たちに勢いがあったそうです。
- 大阪の町人は自分たちのお金で町つくりを動かしているという自負をもっていたそうです。
- そういう時に、お上のいうことを聞いたかどうかわからないそうです。
- 権力に対する反骨心から大阪の女性は派手な恰好をやめようとしなかったそうです。
- たとえば着物の表に派手な物がダメなら裏地を派手にするとか、下着も凝ったものをつけるなど目の届かない所で派手な恰好を続けたそうです。
- 表面的には 非常に無抵抗で従っているように見せておいて、お上の目をうまくかわしていたそうです。
- お上に従わなかった反骨心 → 大阪女性が好んだ華やかさ派手さという歴史が引き続いていって大阪のおばちゃんが派手になったそうです。
- ところで大阪のおばちゃんの派手な格好でも特に思い浮かべるのはアニマル柄。
- ある人はトラがらのセーター、ジャガー柄のカバンにチーターのプリント。
- またある人はシマウマ柄のキャリーバッグにジャガー・シマウマ・ヒョウ柄のコート
- 大阪の街は、そう野生の動物が放し飼い状態。
- なぜアニマル柄を着るのか聞いてみると?
- 「大阪で地味な恰好してたらアカンわ!」思てとか「元気が出そう」ということでした。
- 前垣和義 先生いわく
- 目立ちたいとか、自己主張とか、そういう理由はあるでしょうけど、大阪のおばちゃん
= 人を喜ばせたいといった考えから、コミュニケーションが広がっていく、楽しませて笑顔にしていく、その笑顔を見て自分も幸せに、そういうふうなことがあるからこそ着ている部分が多いと私は捉えているんです。
チコちゃんに叱られる!なぜ大阪のおばちゃんは派手? まとめ
今回は、チコちゃんに叱られる!なぜ大阪のおばちゃんは派手?
について情報発信させていただきました。