9月11日放送のチコちゃんに叱られる!で
山手線はどこからどこ?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!山手線はどこからどこ?
山手線はどこからどこ?
答えは、品川から田端
詳しく教えてくださるのは
鉄道ジャーナリスト
梅原 淳 先生(うめはら じゅん)
- 路線としての山手線は 品川駅から始まって新宿駅を通って田端駅までが山手線となっています。
- 山手線は1周していないというのです。
- いったいどういうことなのでしょうか?
- 国土交通省の鉄道要覧には 山手線は品川駅から田端駅と書かれています。
- そして 東京駅から上野駅を通り田端駅を超えて大宮駅までの区間は東北線。
- 東京駅から品川駅までは東海道線と書かれています。
- つまり みなさんが1周していると思っていた山手線は 3つの路線に別れているのです。
- その理由は 鉄道の成り立ちに関係しているといいます。
- 日本で初めての鉄道というのは 東京の新橋駅(現・汐留)から神奈川県の横浜駅(現・桜木町)までができました。
- 1872(明治5)年 首都東京と交易の拠点 横浜をつなぐため 横浜から新橋までの路線が開通。
- 次には 首都東京と東北方面をつなぐため 上野と群馬県の高崎の間に列車を通します。
- この2つの路線をつなげようとするのですが ある問題が…
- 新橋と上野の間というのは 東京の中心ですから 線路を通すことができなかったんですね。
- 新橋と上野の間は 銀座や日本橋などがある東京のど真ん中。
- 土地の値段が高く 買収費用がかさむ。
- さらに鉄道という 新しい物への不安から住民の反対もあり 線路を通すことを断念しました。
- しかし 何とか電車で横浜と東北方面をつなぎたいので。
- 品川駅から東京の西側の渋谷駅 新宿駅を通り 埼玉との県境の赤羽駅まで線路をつなぎ…
- 東北方面と横浜方面を結ぶことにしたのです。
- 次に山手線の終点である田端駅が作られます。
- 田端駅から茨城県の水戸方面をつなぐ常磐線というものができます。
- 田端駅は茨城・福島方面から石炭を東京に運ぶなどの目的で作られました。
- その石炭を横浜にも運ぶため 田端駅と池袋駅をつなぎます。
- この区間(品川駅から田端駅)が後に山手線と名付けられたのです。
- こうして 1909(明治42)年 品川駅から田端駅を走る 山手線が誕生。
- 最短距離で横浜とつなげるため 赤羽は山手線から外されてしまいました。
- その後 最初は反対していた新橋駅から上野駅の間に住む人たちも鉄道の便利さがわかったことなどで 反対運動が少なくなっていきます。
- こうして 東京駅 秋葉原駅などが生まれ 1925(大正14)年 新橋駅から上野駅間が開通したのです。
- このように山手線は もともとあった東海道線と東北線に相乗りする形になっています。
- だから山手線というのは1周している路線ではなくて 品川駅から田端駅までになったんですね。
- ところで なぜ山手線というのでしょうか?
- その理由は田端駅の南口に行けばわかるそうです。
- それは 山手線は田端駅付近から山を走る 山ばかりを走っているので山手線ななりました。
- 地形図で見ると田端駅があるのは まさに山の入り口。
- ここから先 新宿などがある西側は 高台にあるのがわかります。
- ここに電車を通すとなると 山を登ったり谷を下ったりしなければなりません。
- しかし 今の電車は ある程度 坂を登っていきますけども2%の坂というのは当時の蒸気機関車では大変 辛い坂道だと思うんですね。
- 開業当初 坂を登る力がなかったという山手線。
- そのため 谷の部分には橋を架け 山の部分は削って開通させたのです。
- 例えば 高田馬場駅北側や渋谷駅付近は谷を越すために橋が架かり。
- 池袋駅付近などは 山を切り開いて走っているのがわかります。
- 言われてみれば見慣れた風景。
- 私達は なぜそうなっているのかを考えることなく通り過ぎていますが…
- 実は先人たちの鉄道を通すという情熱のたまものだったのですね。
- 開通が遅れた上野 新橋間なんですが 当初は路面電車のようにレールが敷かれて その上を乗合馬車が走っていたという事なんですね。
- その後 路面電車が通って 鉄道開通へとつながっていきました。
チコちゃんに叱られる!山手線はどこからどこ? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!山手線はどこからどこ?
について情報発信させていただきました。