11月20日放送のチコちゃんに叱られる!で
ビニール傘ってなに?
という質問がありました
チコちゃんに叱られる!ビニール傘ってなに?
ビニール傘ってなに?
答えは、もともと傘用のカバー
詳しく教えてくださるのは
創業300年の歴史を持ち皇室にも納める高級ビニール傘を生産している国内唯一のビニール傘メーカー
千葉・旭市 ホワイトローズ株式会社 10代目 社長
須藤 宰 先生(すどう つかさ)
- ビニール傘は 私の父の9代目の須藤三男が傘用のカバーとして作ったものなんですね。
- ビニール傘は日本が発祥とされ開発したといわれているのが
- 先代の9代目社長の須藤 三男(すどう みつお)さん。
- 私の父は 戦争のときにシベリアに抑留になってしまいまして日本に帰ってきたのが…
- 1949(昭和24)年で戦争が終わってから4年間出遅れてしまったんですね。
- 一般の傘屋さんが扱ってないような物を何か発明しないと…
- これはちょっと挽回できないな!と。
- と ここで突然 田口トモロヲさんのナレーションで…
- 日本だけでなくイギリスのエリザベス女王も愛用するビニール傘。
- 1964(昭和39)年 オリンピックに沸く東京で それは密かに産声を上げた。
- 絶対の自信がありながらも世に知れ渡るまで5年以上。
- これは戦争で生き残った男が世間の逆風に傘1本で立ち向かった挑戦の物語である。
- ここからはプロジェクトX風にチコジェクトX挑戦者たち
- BGMはもちろん 中島みゆき「地上の星」
- 終戦から4年。
- シベリアから帰国。
- 金がない 骨がない 布がない どこへ行った?
- 倒産の危機 大逆転。
- 水をはじくビニール 世間からはじかれる。
- ニューヨークの救世主。
- 「ビニールの向こうに未来が見えた ~ビニール傘誕生物語~」
- 昭和24年 東京 戦争から帰ってきた男がいた。
- 須藤三男(当時26歳)
- シベリアから帰国し向かったのは もともと住込みで働いていた傘屋。
- 江戸時代 幕府御用を許され大名行列の雨具一式を納入していた老舗 武田長五郎商店。
- しかし 店は倒産寸前だった。
- 終戦から4年 同業者に先を越され材料が手に入らない。
- しかし 三男は 諦めない男だった。
- 「戦争から生き残って帰ってきたと ちょっとやそっとの逆境ではですね…
- めげない根性があったんじゃないかなあと思いますね」(須藤 宰・談)
- 三男は傘屋当主の娘 有子(ともこ)と結婚。
- 「8代目の社長の娘 もらっちゃえよ!みたいな話ですから やる気マンマンだったんじゃないですか?」(須藤 宰・談)
- 三男が目を付けたのは その頃の傘の弱点。
- 綿でできた当時の傘は雨に濡れると…漏れた。
- 色も落ち 服が汚れた。
- 絶対に水が漏れない傘を作れないか?
- ガラスの傘は…閉じない。
- 鉄板! 重くて持てない。
- そんな中 闇市である物を見つけた!
- 進駐軍が使っていたビニールのテーブルクロス。
- シベリア抑留中にも見た 飲み物が漏れない…あの生地。
- 「これだ!」
- 三男とビニール 運命の出会いだった。
- ビニールに穴を開け 布の傘の上からかぶせた。
- 「傘を濡らさないための傘カバーというのを開発したわけです」(須藤 宰・談)
- 1951(昭和26)年 傘を守る傘カバーは完成し 瞬く間に売れた。
- 新聞に取り上げられ 見事 店を盛り返した。
- しかし 強力なライバルが出現した。
- 化学繊維ナイロン。
- ナイロンの傘は漏れない。
- 傘カバーは 売れなくなった。
- 「ナイロンなんてのは もうどうでもいい ビニールは絶対に水が漏れなくて最高の素材だと信じ込んでましたから」(須藤 宰・談)
- 三男は思った。
- カバーではなく ビニールの傘 そのものを作ればいいんじゃないか?
- 問題は ビニール同志をくっつける方法。
- 縫うと穴が開く。
- 当時 ビニールをくっつける接着剤はない。
- 苦しむ三男の目に飛び込んできたのは アメリカで使われていた技術。
- その名も 高周波ウェルダー加工。
- 高周波で分子を震わせ熱を生みビニール同志が溶けてくっつく。
- そんな機械が手に入るわけもない時代。
- しかし 三男は 諦めない男だった。
- その機械を 作ってしまった。
- 改良を重ねること5年の1958(昭和33)年 ビニール傘が完成。
- しかし 「邪道 扱いされてですね 傘売り場に出なかったもんですから…
- お客様の目に留まることもこともなくて 大変売りにくい状況があったと思います」(須藤 宰・談)
- 傘として認められず 傘屋に置いてもらえなかった。
- しかし 三男は 諦めない男だった。
- 傘屋ではなく 服を売る洋品店 1件1件に置いてもらえるよう頼んで回った。
- そのとき 雨ならぬ風が吹いた。
- 1964(昭和39)年 東京オリンピック。
- 突然 電話鳴って出た。
- 受話器からは英語で「ニューヨークでビニール傘を売りたい」
- オリンピックを見に来ていた 傘メーカー社長 。
- 銀座の洋品店で 三男の傘を見たという。
- 寒い日 すっぽりかぶっても前が見えて安全。
- ニューヨークで”バードゲージ”(鳥かご)と呼ばれ売れた。
- バカ売れした。
- 数年後「銀座で透明でオシャレナ傘が売られている」
- テレビや雑誌で取り上げられ 瞬く間に広まった。
- 選挙の候補者の顔が見えるからと 選挙活動でも使われた。
- 「”いつかは日本中をビニール傘で埋め尽くしてうやろう”というのがみんなの合言葉だったので 嬉しいというよりは 当たり前だよなと 」(須藤 宰・談)
- どんな逆境でも諦めず ビニール傘を生み出した 須藤三男さん。
- 94歳でこの世を去るまでビニール傘を進化させようとした。
- 挑んだのは 布に見立てたビニール傘。
- 見た目も手触りも布に近づけた。
- 「そこまで似せるんだったら 本物の布の方が いいんじゃないかなあと」(須藤 宰・談)
- 売れなかった!
- 更には 魚を獲るビニールのワナ。
- 「これ名前がですね 為五郎(ためごろう)という名前だったんです」(須藤 宰・談)
- 中に魚が溜まるから 為五郎。
- 「釣りの醍醐味は 全くないんですよね」(須藤 宰・談)
- 売れなかった!
- しかし ビニール傘は 今や日本中 世界中の人々を雨から守っている。
- ビニール傘は もともとポリ塩化ビニルで作られていたのでビニール傘と言われているんですけれども 現在はポリエチレンやポリプレピレンなどのオレフィン系樹脂が使われていることが多いということです。
- ビニール傘の発祥については諸説あります。
- ちなみに ビニール傘を開発した 三男さんですが シベリア抑留中にロシア語が堪能になったため なんとNHKのロシア語に出たことがあるそうです。
チコちゃんに叱られる!ビニール傘ってなに? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!ビニール傘ってなに?
について情報発信させていただきました。