9月18日放送のチコちゃんに叱られる!で
なぜお弁当にタコのウインナーが入っている?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!なぜお弁当にタコのウインナーが入っている?
なぜお弁当にタコのウインナーが入っている?
答えは、王家の次男が少食だったから
詳しく教えてくださるのは
NHK「きょうの料理」にも講師として出演したことがある
料理人
尚 承 先生(しょう つぐる)
- タコウィンナーを生み出したのは私の母親なんですよ。
- 子どもころ 食が細かったんで 僕のためにタコウィンナーを作ってくれたんですね。
- 実は 尚さん 王家の次男なんです。
- ファミリーチコトリー(FAMILY CHIKOTORY)
- テーマソングは もちろん くるり 「Remember me」
- 引用:https://www.youtube.com/watch?v=jbYh4su2HGE
- 今回のゲストは お弁当にかかせない この方です。
- タコのウィンナー。
- 語りはもちろん本家ファミリーヒストリーでお馴染みの 余 貴美子さん。
- 「私も子どもころはよく食べたものです」
- 今やお弁当の定番となったタコのウィンナーですが…
- 自身のルーツについては ほとんど知らないといいます。
- そこで 今回は ご本人を招き 番組が調べた家族のヒストリーを初めて見ていただきます。
- タコのウィンナーのファミリーチコトリー。
- そのルーツを探ると 沖縄に。
- 思わぬ人物に辿りつきました。
- 名前は 尚 泰(しょう たい)
- 写真:那覇市歴史博物館から引用
- 琉球王国 最後の国王です。
- タコのウィンナーの3代前 つまり曽祖父にあたります。
- 1879(明治12)年 廃藩置県により琉球王国は沖縄県に。
- 尚 泰は故郷を離れ東京に移り住むことになります。
- そんな最後の国王の孫にあたるのが 尚 明(しょう あきら)
- 後の日本住宅公団の副総裁で台所と食事スペースが一体となった日本独自の間取りダイニングキッチンを発明した人物です。
- 明 は1940(昭和15)年 運命の人に出会い結婚。
- 宮城 道子(みやぎ みちこ)
- 穏やかな性格で料理が大好きな この女性こそ 後のタコのウィンナーの母親です。
- その後 1945(昭和20)年に長男 卓(たかし)が1953(昭和28)年には次男 承が誕生。
- かつて王家だった一家は 2人の男の子に恵まれます。
- 幸せいっぱいだった 尚家。
- しかし 幼稚園に通うようになった次男 承には ある問題がありました。
- 尚さん「食べるのが嫌な子どもだったので すごい食が細かったんですよね モヤシさながら もっと細い アルファルファ 今でいえばカイワレみたいな それぐらいガリガリの子供だったんですよ」
- どうすれば楽しく食べられるのか…
- 道子は 承 の幼稚園のお弁当にいつも頭を悩ませていました。
- 承 の唯一のお気に入り それは玉子とキュウリのサンドイッチ。
- 尚さん「で そのおかずにということでウィンナーを入れてくれたんです」
- 当時はウィンナーといえば 赤いウィンナーが主流でした。
- ところが …
- 尚さん「今のウィンナーと違って 当時のウィンナーは凄い皮が硬くてツルツルしててお箸でもつかみにくいでしょ」
- なやんだ道子は ある日 思い切った行動に出ます。
- ウィンナーの半分だけに切れ目を入れてみたんです。
- すると…
- 尚さん「切れ目を入れて焼いたらパッと こう開いて『あっ!タコみたいね』ということで 結果的にタコの形になったということだと思いますよ」
- 1959(昭和34)年 道子が生み出したタコのウィンナーでした。
- 尚さん「私が次男で三男がタコのウィンナーということでしょう」
- 承 は このとき5歳。
- 弟の誕生をどう感じていたのでしょうか?
- 尚さん「どうでしょう…その頃の記憶 全く覚えが無いんですけど まだ小っちゃかったから まあ無意識に食べてたんじゃないかなとおもいますよ」
- さあ ここまで ご自身のファミリーチコトリー 初めてご覧になっていかがでしたか?
- オンリー チコトリー
- 今ではすっかり定番となったタコのウィンナー。
- 全国へと広がっていった その陰には ある人物の歴史が隠されていました。
- 道子の妹 朝子 です。
- タコのウィンナーにとっては叔母にあたります。
- 「主婦の友社」で料理記者の道に進んだ 朝子。
- 1968(昭和43)年には料理雑誌「栄養と料理」の編集長に就任します。
- さらに テレビ番組「料理の鉄人」の審査員としても活躍。
- 「おいしゅうございます」でお馴染みの 岸 朝子は日本中に知られる存在になりました。
- 尚さん「妹の岸朝子が その『タコのウィンナーは私の姉の尚道子が生み出した物でよ』といろいろなメディアを通して伝えたらしんですよ」
- 朝子が幅広く活動する中で タコのウィンナーは日本中に広まり お弁当の定番になっていったといわれています。
- 一方 料理が大好きだった道子は 東京都の料理コンクールに出場し見事優勝。
- すると 雑誌やテレビから声がかかり 主婦業のかたわらアイデア料理をメディアで披露するようになります。
- NHK「きょうの料理」では 家庭料理の講師を番組開始から長年に渡り務めました。
- 尚さん「母がづっと言ってた 料理は心 ということは そうすれば相手は必ずおいしいと言ってくれますよ 今でもそういう風に思ってますんで そういうことを教えてくれた母親に感謝したいと思いますね」
- 尚 道子さんは2002(平成14)年 82歳で亡くなります。
- 美味しい料理を愛し 人に喜んでもらうことを愛し続けた人生でした。
- 亡くなったあとも 道子さんの心は受け継がれていきます。
- 子どもたちを喜ばせたタコのウィンナーは 両側に切れ目を入れた カニのウィンナーへと発展。
- そして今 日本中のおかあさんを張り切らせたり 苦しませたりしているキャラ弁へと脈々とつなっがていきます。
- 全ては子供を思う母の心。
- あの日のタコのウィンナーから始まったのです。
チコちゃんに叱られる!なぜお弁当にタコのウインナーが入っている? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!なぜお弁当にタコのウインナーが入っている?
について情報発信させていただきました。