11月28日放送のチコちゃんに叱られる!で
観光地のお土産はなぜペナントだった?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!観光地のお土産はなぜペナントだった?
観光地のお土産はなぜペナントだった?
答えは、タオル屋さんが社運をかけたから
詳しく教えてくださるのは
創業63年・鎌倉でタオル製造会社営む
株式会社 間タオル 社長
間 隆浩 先生(はざま たかひろ)
- 観光地のお土産の定番となったペナントは間タオルさんが開発したそうです。
- 間社長のお父さんが会社の社運をかけてペナントを開発したそうです。
- かつて修学旅行生が夢中になったお土産があったそうです。
- それが、ペナントだそうです。
- 誰もが旅の思い出に胸を熱くしたそうです。
- 20代の脱サラ社長が苦悩の末にたどり着いた二等辺三角形だそうです。
- 倒産の危機に瀕しながらもペナントに人生を賭けた若き社長の逆転の物語があるそうです。
- 1958(昭和33)年プロ野球界では長嶋茂雄が新人王のタイトルをとったとき、間社長の
お父さんは借金王だったそうです。 - 奥さんの実家で開業した、マスオさん状態だったそうです。
- 倒産の危機、会社を救え
- 二等辺三角形に魅せられた男
- 東京タワー完成
- 今からおよそ60年前の1956(昭和31)年終戦から10年が経ち復興の中で日本は活気を取り
戻していたそうです。 - 裁判所に勤めていた公務員 間 勇(はざま いさむ・26歳)
- この復興の勢いに乗って一儲けしたいと思って公務員を辞めたそうです。
- 目を付けたのは手ぬぐいに代わる庶民の必需品・タオルだったそうです。
- 妻の実家に土地を借りてタオル製造会社を創業したそうです。
- 間社長「資金もないし 人脈もないし とりあえず自分の奥さんの所で土地を借りて始めたということです。マスオさん状態だったんです。」
- しかし、考えが甘かった!
- 若輩者に金を貸してくれる銀行はなかったそうです。
- 間社長「義理の父からお金は借りたことがあるって言ってましたね。」
- 倒産寸前!
- マスオこと勇は崖っぷちだったそうです。
- 1958(昭和33)年 転機は意外なところから訪れたそうです。
- 間社長「父は野球が好きで大の巨人ファンだったんですよ。」
- この年、巨人に入団した長嶋茂雄が新人王を獲得、チームは黄金期を迎えようとしていたそうです。
- 気分転換で球場に足を運んだ勇の目にある物が飛び込んできたそうです。
- バックスクリーンにたなびく優勝チームだけに与えられる勝利の証しのペナント。
- 間社長「父はそれを見て このペナントに観光地に絵柄を入れて売ったら売れるんじゃないかなと その時はそう思ったらしいんです。」
- しかし、問題があったそうです。
- 会社と家族の運命が掛かったペナントの絵柄を何にするか?
- 地元、湘南のシンボル江の島を描く それとも名物の生シラスを描くのは…
- その時、目に入った新聞に完成まじかの東京タワーが…
- これだと思ったそうです。
- 日本復興のシンボルに間社長は賭けたそうです。
- こうして、観光地第1号の絵柄は東京タワーに決まったそうです。
- 間社長は、倉庫で観光地第1号の東京タワーの絵柄のペナントを探しましたが…
- 60年前の、あの記念すべきペナントは残念ながら見つかりませんでした。
- だが、勇の読みはあたり、観光地のペナントは大ヒットしたそうです。
- まだ、個人のほとんどカメラを持っていなかった時代のことだそうです。
- 部屋の壁を見ると、旅の思い出が鮮明に蘇ったそうです。
- さらに高度経済成長期
- 日本に観光ブームが訪れ、各地のペナントを量産したそうです。
- ここでも勇のセンスが光ったそうです。
- やや渋めの観光地、鳥取県の皆生温泉も売れたそうです。
- 大分県の鯛生金山も売れたそうです。
- 神奈川県の城ケ島は売り切れたそうです。
- ペナントでつかんだ崖っぷちからの大逆転。
- 笑いが止まらなかったそうです。
- ディレクター「そうとうもうかったんじゃないですか?」
- 間社長「儲かったんだけど、その売上金がみんなどこかにいっちゃった」
- ディレクター「どうしてですか?」
- 間社長「ようは社長がちょっと儲かるとすごくいい気分になっちゃって普段乗らないのに車買ったりゴルフなんかやんないのにゴルフの会員権買ってみたり、散財しちゃうんですよね。」
- ディレクター「何も残ってない?」
- 間社長「なんも残ってない。なんだったんだアレ…」
- 2019年、かつて日本中の子供部屋を彩ったペナント。
- しかし、誕生から60年土産物屋から姿を消した。
- 旅の風景を残す手段は、ペナントからカメラスマホへと引き継がれた。
- 勇が人生を賭けた二等辺三角形…
- 現在も番組スタッフの祖父の家にはペナントが当時のまんまに飾られているそうです。
- 登別、札幌、伊賀上野、そして阿寒湖
- 今もなき祖父の思い出を語りかけているそうです。
- ペナントが徐々に売れなくなっていった理由は?
- 本来ペナントは自分で飾って楽しむお土産だったそうです。
- いつしかもらうと困るお土産に代わって その代表格となってしまってマイナスイメージが
ついてしまったから徐々に売れなくなっていったそうです。 - また家の壁が土壁からクロスに変わったからなどだそうです。
チコちゃんに叱られる!観光地のお土産はなぜペナントだった? まとめ
今回は、チコちゃんに叱られる!観光地のお土産はなぜペナントだった?
について情報発信させていただきました。