チコちゃん

チコちゃんに叱られる!なぜかき氷の旗は同じデザイン? 8月7日

8月7日放送のチコちゃんに叱られる!で
なぜかき氷の旗は同じデザイン?
という質問がありました。

チコちゃんに叱られる!なぜかき氷の旗は同じデザイン?

なぜかき氷の旗は同じデザイン?

答えは、営業許可証だったから

詳しく教えてくださるのは
伝統あるかき氷を広め さらなる発展を目指す
東京・世田谷 日本かき氷協会 会長
小池 隆介 先生(こいけ りゅうすけ)

小池隆介
  • 氷旗1
  • この旗は氷旗(ひょうき)というんですけども…
  • 昔 販売を許された業者が 許可証として店先に掲げることをルールがあったんですね。
  • 今でも全国で この旗が掲げているのは 当時の名残なんですよ。
  • 実際に全国のかき氷屋さんを調べてみると…
  • 多少の違いはあるものの 北海道から沖縄まで かき氷を販売する店には 氷旗が掲げられています。
  • しかし この旗 かき氷ではなく氷しか書かれていません。
  • いったい なぜでしょう?
  • この旗は厳密にいうと かき氷 ではなく 氷そのものの販売を許す許可証なんです。
  • 実は許可証が交付された当時 氷は大変貴重な物で扱うのに許可が必要だったんですよ。
  • なぜ かき氷屋さんに あの旗が掲げられるようになったのか?
  • そこには 冷凍庫など無い時代に氷を求めた人間たちの壮絶なドラマがあったのです。
  • 氷の歴史について…
  • 日本雪氷学会 北陸大学 元教授 竹井 巖 先生(たけい いわお)
  • 竹井巖
  • にうかがいました。
  • 氷は古くから日本でも利用されていました。
  • 平安時代に 清少納言が書いた『枕草子』には…
  • かき氷について書かれた文章も残ってます。
  • そこには「削った氷に 甘味料をかけ 新しい金属製のわんに 入れたものは とても上品である」と書かれています。
  • 清少納言といえば 当時の上流階級です。
  • そんな彼女でさえ とてもありがたかって食べていることから いかに氷が貴重だったかということがうかがえます。
  • 江戸時代に入ると 徳川家康は夏場に雪や氷を わざわざ富士山から運ばせていたそうです。
  • さらに 加賀藩 前田家は 将軍家に氷を献上するため 雪を夏まで貯蔵し 江戸まで運んでいたといいます。
  • 貴重な氷は  お氷様と呼ばれ 江戸の庶民には手を触ることもできなかったそうです。
  • 暑い時期に冷気を感じる氷は 限られた人だけの贅沢品だったのです。
  • 氷の使い方に変化が起きたのは江戸時代末期。
  • 当時 横浜に住んでいた外国人たちが 氷を求め始めたのです。
  • その目的は 食料品の保存や 外国人医師が解熱や やけど治療に使うためだったと言われています。
  • しかし 当時の日本には 庶民が気軽に使える氷などありません。
  • そこで 氷をアメリカから輸入したんです。
  • 氷を輸入!?
  • 実は アメリカのボストンではウェナム湖の氷を切り出して 世界中に輸出するビジネスがすでにありました。
  •  船での輸送中 氷が溶けないよう 周りに 木材 や おがくず を隙間なく敷き詰めていたそうです。
  • この保冷技術のおかげで 積み込んだ氷の約55%を運ぶことができたそうです。
  • ボストンから日本までの航路は およそ1万5,000km
  • 輸送機関は なんと6か月
  • ビールケースほどの氷で3~5両
  • 現在の30万円以上もしたと言われています。
  • 氷は非常に高価なもの。
  • 庶民が かき氷 にするなんて とてもできませんでした。
  • かき氷 ほど手軽に氷が使えるようになったのは 明治時代に入ってからだと言われています。
  • そのキッカケとなったのが 中川 嘉兵衛 (なかがわ かへい・1817~1897)
  • 中川嘉兵衛
  • 外国人が高価な輸入氷を使っていると知った中川は…
  • 安い氷を普及させるプロジェクトを開始。
  • 山梨県の富士山麓から氷の採ることをスタート。
  • より良い場所を求めて 日本列島を北上。
  • しかし いづれも成功には至りませんでした。
  • 一番の問題は 輸送手段です。
  • 陸路や航路を1から整備するには 時間も費用もかかり過ぎて採算が取れなかったのです。
  • 中川が目を付けたのは 北海道の函館。
  • 当時の函館港には 大型蒸気船の定期便があり…
  • それを使えば輸送費用も抑えて採算が取れたのです。
  • 最後にたどり着いたのが 五稜郭 です。
  • 函館港の防衛を目的として江戸幕府によって作られた 五稜郭。
  • 当時 五稜郭 の外堀は 清流 亀田川から水を引き入れていたため…
  • 気泡など不純物の少ない透明な氷ができ。
  • さらに 北海道の気候のおかげで充分な厚みのある氷が大量に採れたそうです。
  • 1871(明治4)年には670tの氷を切り出し函館氷として商品化。
  • 安い函館氷は 日本中に行きわたり 庶民も かき氷 を食べられるようになったのです。
  • ところが 中川の成功を見て ”氷の販売は儲かる”とわかると…
  • 全国的にマネをする者が続出したんです。
  • 不衛生な氷を売る不届き者も出てくるんです。
  • 当時 政府のトップだった 伊藤博文 は新聞で不衛生な氷の販売を取り締まると発表。
  • 政府は衛生検査を導入し 検査に合格した氷業者に配られたのが…
  • この氷と書かれた旗。
  • 氷旗2
  • 許可証だったのです。
  • 当時の旗をよく見ると…
  • 氷の下には産地が書かれ 上には官許の文字が。
  • これこそが 政府が営業を許可したことの証。
  • そして 日本中の かき氷屋さん は仕入れ先の許可証を掲げ…
  • うちの氷は安全だという目印にしたのです。
  • その名残が 今も全国の かき氷屋さん に残っているのです。
  • 氷旗のデザインなんですけども 波がデザインされているのは…
  • 函館氷が蒸気船を使って海を越えて運んだことから この波をイメージしたとも言われています。
  • そして この氷の字の周りに飛んでいる鳥なんですけども…
  • こちらは日本の伝統模様の波千鳥というものですね。
  • その清涼感を取り入れるためにデザインしたと言われています。

チコちゃんに叱られる!なぜかき氷の旗は同じデザイン? まとめ

今回は チコちゃんに叱られる!なぜかき氷の旗は同じデザイン?
について情報発信させていただきました。