チコちゃん

チコちゃんに叱られる!なぜお玉を「お玉」という? 4月16日

4月16日放送のチコちゃんに叱られる!で
なぜお玉を「お玉」という?

という質問がありました。

チコちゃんに叱られる!なぜお玉を「お玉」という?

なぜお玉を「お玉」という?

答えは、お多賀がブームになったから

詳しく教えてくださるのは
今回9度目の登場!民俗学の権威
國學院大学大学院 客員教授
新谷 尚紀 先生(しんたに たかのり)

新谷尚紀

  • 今回は突然「NHコ教養講座 お玉はなぜ「お玉」というのか?」が始まりました。
  • アシスタントは毎回恒例 NHKアナウンサー中山果奈さん。
  • 中山アナ「今回は お玉はなぜ「お玉」というのか?を学びます。 新谷先生 よろしくお願いします。 先生は今回で9回目のご出演ということで いつもお世話になっております。」
  • 新谷先生「たまたまご縁があるんでしょうね たまたま」
  • 中山アナ「先生 お玉はなぜ「お玉」というんでしょうか?」
  • お玉は元々「杓子(しゃくし)」という道具で古代から使われていました。
  • 弥生時代のモノですが ひさご つまり ひょうたん を半分に切ってくぼんだ部分で食べ物をすくっていたんです
  • かつては ひょうたん を半分に切ったモノや木を彫って作ったモノなど食べ物をすくう道具全般が杓子と呼ばれ日常的に使われていました。
  • 弥生時代 稲作が始まって以降 初穂(はつほ)と言って収獲に先立って神様に稲を捧げていたことで米のことを稲の魂と書いて稲魂(いなだま)と言っていました。
  • 当時の米は今のようにモチモチと柔らかいものではなく米を蒸した強飯(こわめし)や茹でたおかゆのようなモノを食べていたいたためくぼみがある杓子ですくって食べていました。
  • その米をすくうものなので「杓子」は「魂(稲魂)をいれるもの」とされていたんです。
  • 魂を入れる杓子→魂杓子(たまじゃくし)→お魂杓子(おたまじゃくし)という訳です。
  • それぞれの場所で なんとなく このように呼ばれるようになりました。
  • もともとは杓子なのに 今では「おたま」って言うでしょ。
  • 「おたま」取ってとかね 魂取ってって言ってるんですよ。
  • 新谷先生「おかしいでしょ?」
  • 中山アナ「・・・」
  • 新谷先生「おかしいでしょ?」
  • 中山アナ「・・・」
  • この お魂杓子は くぼみに魂が宿っているとされ神聖な存在でした。
  • 宮島・厳島神社の名物として有名なしゃもじも元は杓子と呼ばれていたもの。
  • 他にも杓子を神聖なモノとする慣わしは日本各地に在りました。
  • しかし この杓子の呼び方ははっきりと決まっていたわけでは無く地域ごとに呼び方は様々でした。
  • へら?
  • おたまじゃくし?
  • さじ?
  • たま?
  • しゃく?
  • しゃくし?
  • たまじゃくし?
  • かい?
  • 各地でまちまちな名前で読ばれていた杓子を「おたまじゃくし」と統一した名前にさせた火付け役がいたんです。
  • それが お多賀さん。
  • 滋賀県の多賀大社です。
  • 中山アナ「多賀大社?
  • 「多賀」が「おたま」されど「おたま」です。
  • 中山アナ「まずはこちらをご覧ください」
  • 滋賀県多賀町。
  • 「おたまじゃくし」という名の天下を統一のきっかけとなった多賀大社へ。
  • ここに「おたまじゃくし」に関わる伝説があるというのです。

ここから詳しく教えてくださるのは
多賀大社 宮司
片岡秀和さん

  • 番組D「こちらが「おたまじゃくし」を世に広めた きっかけになった神社と伺ったんですけれども」
  • 片岡さん「さようでございます「おたまじゃくし」の原型と言われるモノが境内にございますので ご案内させていただきます」
  • 境内の社には何やら巨大なしゃもじのような杓子が安置されていました。
  • その巨大な物体を前にして…
  • 片岡さん「これがお多賀杓子でございます」
  • おたまじゃくし ではなく お多賀杓子 とはいったい何なのでしょうか?
  • 元正天皇が養老年間に病に伏せられました。
  • その折に 多賀の神職たちが強飯を炊き杓子を添えて献上したところ病が立ちどころに直ったという言い伝えが多賀に残っています。
  • これは縁起が良いと それ以来 杓子はお多賀さんの愛称で親しまれる多賀大社にちなんでお多賀杓子と名付けられ。
  • 神様からの印として参拝に来た人々に渡されるようになりました。
  • さらに多賀大社には それを全国に広めた人々がいました。
  • 多賀大社の境内にはお寺がありました。
  • そこにいたお坊さん 坊人(ぼうにん)と呼ばれる人たちが室町から江戸の時代のころ全国を行脚して多賀信仰を広めていったのです。
  • その時 多賀の神様のお印としてお多賀杓子を配っていたんです。
  • その活動が実を結んだのが江戸時代の参拝ブームですね。
  • 参拝ブームの発端はお伊勢参り。
  • 江戸時代 伊勢神宮の参拝がブームとなり年間何百万もの人々が訪れました。
  • 坊人たちは多賀大社にも人を呼ぶため もう1つ宣伝を打ちました。
  • 「お伊勢参らば お多賀に参れ お伊勢お多賀の子でござる」という祇園歌にのって多賀参りを強化していったと。
  • いわいるCMソングのように捉えていただければよろしいかなと思います。
  • 日本全国をCMソングを口ずさみながらお多賀杓子を配って布教活動。
  • すると多賀大社にも たくさんの参拝客がやってきました。
  • 参拝した人たちはお多賀杓子を持ち帰り ふるさとでもくばり日本全国にお多賀杓子が広まっていったのです。
  • それは文化の中心 江戸にも届きました。
  • そして食べ物をすくう杓子はお多賀杓子と呼ばれ まちまちだった名前の天下統一が果たされたと考えられています。
  • 中山アナ「先生 その「お多賀杓子」が なぜ「おたまじゃくし」と呼ばれるようになったんですか?」
  • 新谷先生「まあ確かなことは判ってないんですが 結局は「おたま」のほうが言いやすかったんじゃないでしょうかねぇ」
  • 中山アナ「カエルの子のオタマジャクシに似ていたから「おたまじゃくし」と呼ばれるようになったと思っている方も多いと思うんですが そうではないんですか?」
  • 新谷先生「それは逆ですね 道具のお魂杓子に似ているからカエルの子は「オタマジャクシ」と呼ばれるようになったんです」
  • まとめますと…
  • お魂杓子がお多賀杓子になって お多賀杓子がまたおたまじゃくしと言われるようになったと。
  • カエルの子は おたまじゃくし になったけどカエルの子はやっぱりカエルだっていう話ですねぇ。
  • ややこしいかな?
  • 中山アナ「それでは またお会いしましょう!」

チコちゃんに叱られる!なぜお玉を「お玉」という? まとめ

今回は チコちゃんに叱られる!なぜお玉を「お玉」という?
について情報発信させていただきました。