テレビ番組

消えた天才!高橋尚子が最も憧れた同い年天才ランナー誰?衝撃映像は?

TBS人気番組”消えた天才”でマラソン高橋尚子が最も憧れた同い年の天才ランナーは誰?
という放送がありました。

番組内では、消えた理由が、あまりにも衝撃的な事件だったため当時の映像があっても公開が規制されたほどでした。

それも含めてご紹介したいさせていただきます。

消えた天才!高橋尚子が憧れた同い年のランナーは?

高橋尚子さんが、学生時代”神様”と崇めていた天才ランナーは日本陸上界に激震を走らせた事件でマラソン界から姿をけしました。

 

当時の事件があまりにも衝撃的な内容のために映像を公開することができませんでした。

 

今回の番組を通じて承諾を得ることができ20年ぶりに映像が公開されました。

 

ただ、そこで明かされた内容があまりにも驚きの真実でした!

 

消えた天才は中学校時代に陸上部ではなくバレーボール部に所属して全日本中学校バレーボール選手権大会にも出場していました。

 

高校時代から陸上競技をはじめて3年生のときに全国高等学校総合体育大会の3000mで
高等記録を出すなどして横浜国際女子駅伝代表に選抜されました。

 

大学は順天堂大学に進んで日本学生陸上競技対抗選手権大会で優勝して1993年のユニバーシアード・バッファロー大会代表に選抜されました。

 

高橋尚子さんが憧れる方だけあって素晴らしい功績の持ち主だったのですね。

 

大学卒業後の1995年に三田工業に入社されました。

 

入社した年の9月にユニバーシアード・福岡大会に出場したのですがここで事件がおこったために映像公開が20年ちかく規制されてきたそうです。

 

では、その消えた天才がだれだったのか?

 

その方の名前は 鯉川なつえさんです。

消えた天才!高橋尚子が憧れたランナー 鮎川なつえ

鮎川なつえさんのプロフィール

出身地:福岡県

生年月日:1972年8月2日

経歴:福岡市立長丘中学校 → 筑紫女学園高等学校 → 順天堂大学 → 三田工業株式会社

消えた天才!高橋尚子が憧れたランナー鮎川なつえ事件

その事件は1995年ユニバーシアード福岡大会で鯉川なつえさんが出場してあるアクシデントが起こって大会を途中棄権したことでした。

 

そのアクシデントが衝撃的な映像だったために20年近く放送が規制されました。

 

鯉川なつえさんは、この大会で走行中に熱中症になってしまいました。

 

熱中症のまま走行してフラフラと蛇行し転倒してしまいました。

 

この事について鯉川なつえさんも自身のブログで紹介しています。

 

鮎川なつえさんのブログより

1995年9月3日、ユニバーシアード福岡大会で、私はマラソン走行中に熱中症になり、九死に一生を得た。当時実業団チームに所属し、暑さ対策も含め、専門的な練習を積んでいた。まだ熱中症という言葉が知られていなかった時代で、私も熱中症のことを詳しく知らなかったが、脱水にならないよう、日ごろから意識してこまめに水分補給をするようにしていた。体調は万全で、調子が良すぎて早く走りたくて仕方がなかった。

つまり、私が熱中症を起こしてしまった原因は、すべて「レース当日」にあった。

当日、私は最大のミスをひとつだけ犯していた。それはスタート地点である福岡ドームの中でウォームアップをしてしまったことだ。ドーム内は冷房が効いていて快適な環境だった。スタート時の天候は曇り、気温28・5度、湿度86%。通常の練習環境と大差はなかったが、いざスタートして道路上に出ると、もわっとした熱気に包まれ、とても息苦しさを感じた。

レースは超スローペースで進み、調子の良い私は15㌔過ぎからペースアップして独走態勢になった。ちょうどその時、スコールのような雨が降ったかと思うと、すぐに日が照りだし、コース上はまるでサウナのように。中間点での気温は29度、湿度92%となった。湿度が高く、皮膚の水分が全く蒸発しない。「沿道の人からタオルを借りたら失格になるのだろうか」と真剣に悩みながら30キロの給水を取ったのを覚えている。私の記憶はここまでしかない。32㌔からフラフラになり、39キロで棄権していた。

 

現在と違い、当時は「熱中症」という言葉が世間一般にしられていなかったようですね。

 

現在は熱中症という言葉はニュースなどでもよく耳にしますしどのような症状が出て、対処方法も皆さんが衆知していますが当時は事例もほとんどなく知られていなかったようですね。

 

当時、鯉川なつえさん自身も熱中症に対する知識が薄かったと言ってますが体が脱水しない様に、こまめに水分補給を取ることは心がけていたようです。

 

それでも、鯉川なつえさんが走行中に熱中症になってしまった理由はブログにあるように

  • 冷房の効いた福岡ドームでウォームアップを
    おこなってしまったこと。
  • 天候が悪く、走行中には大雨が降り
    今度は急激に晴れたため皮膚の水分が蒸発できなかったこと。
  • 熱中症の症状の意識障害をおこしてしまったこと。

 

このようなことがあって熱中症になり棄権する状況に陥ってしまったようです。

 

鮎川なつえさんが熱中症で倒れてサポートの方に担いでもらってとき、鮎川なつえさんは急死寸前だったと思われます。

 

そのために、鮎川なつえさんご本人の意思を尊重して当時の映像公開が規制されていました。

 

鮎川なつえさんのフラフラの状況での走行と倒れてしまった当時の映像は衝撃的でした。

 

消えた天才!鮎川なつえ事件 衝撃映像は?

今回、番組では鮎川なつえさんのフラフラの状況での走行と倒れてしまった当時の映像は、鮎川なつえさん、ご本人の許可のもと放送されましたが、やはりどこにも映像はありませんでした。

 

また選手の生命に関わる状況で非常に危険な状態だった当時の映像を世に公開させられないですよね。

 

しかし最悪の状況にならなくて本当に良かったですよね。

 

20年前と現在では気温の上昇もちがうので来年の東京オリンピックのときの熱中症対策を
万全にして欲しいですね。

消えた天才!高橋尚子が憧れたランナー鮎川なつえ現在

鯉川なつえさんは1995年のユニバーシアード福岡大会を棄権後の3年後(1998年)に三田工業株式会社を退社されています。

 

その後は順天堂大学陸上競技部の女子中長距離の監督に就任されました。

 

2014年からは女性スポーツ研究センターにて副センター長を務めてみえます。

 

ここでは、鯉川なつえさんご自身の経験をもとに女性アスリートのコンディショニングに関する研究およびスポーツにおける疲労の血液生化学的研究に励んでおられます。

 

ご自身が走行中に熱中症で倒れた経験が生かされる道にすすんで行かれたようですね。

 

また、鯉川なつえさんは高校女子駅伝の解説もされているそうです。

 

消えた天才!高橋尚子が憧れたランナー鮎川なつえ家族

鮎川なつえさんは、現在ご結婚されてご主人お子さん1人みえることがわかりました。

 

ご主人も陸上競技の選手だった方で井上将憲(いのうえ まさのり)さんです。

 

井上将憲(いのうえ まさのり)さんと鮎川なつえさんは同じ順天堂大学出身で、同い年です。

 

井上将憲さんは大学時代に日本学生陸上競技対校選手権大会110mハードルで優勝されています。

 

現在はNPO法人クレンサスポーツアカデミーCSAテクニカルスタッフとして活動をされています。

 

2009年には、男のお子さんが生まれています。

 

お子さんも、現在陸上競技をされているようです。

 

ご両親ともに陸上競技をされていたので、サラブレッドの血をうけついで2028年ロサンゼルスオリンピックの代表選手になる可能性もありますね。

 

消えた天才!高橋尚子が最も憧れた同い年天才ランナー誰?衝撃映像は? まとめ

今回は、消えた天才!高橋尚子が最も憧れた同い年天才ランナー誰?衝撃映像は?
について情報発信させていただきました。

現在は、スポーツ選手にかぎらず、夏になると熱中症で多くの方が命を落とされていますね。

20年前できごとで、鮎川なつえさんは一時、陸上競技が嫌いになったと言っておられました。

でも、鮎川なつえさんの経験があったからこそ 今度は指導者となって女性アスリートの体のサイクルなどが大切であることを教えていただきました。

2020東京オリンピックの開催時は、気温上昇の影響で多くのアスリートの生死にも関わる状況が予想されています。

鮎川なつえさんには二度と同じ悲劇が起こらないようにこれからの活躍を期待したですね。