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チコちゃんに叱られる!なぜ始球式で空振りをするようになった?7月25日

7月25日放送のチコちゃんに叱られる!で
なぜ始球式で空振りをするようになった?
いう質問がありました。

チコちゃんに叱られる!なぜ始球式で空振りをするようになった?

なぜ始球式で空振りをするようになった?

答えは、大隈重信が偉すぎて空振りするしかなかったから

教えてくださるのは
愛知・名城大学 外国語学部 准教授
鈴村裕輔 先生(すずむら ゆうすけ)

鈴村裕輔
  • 始球式自体はアメリカから伝わったものでした。
  • 記録に残る最古の始球式は 1892年アメリカ「ウエスタン・リーグ開幕戦」です。
  • 試合があった翌日の新聞(1892年4月17日付)アメリカ「オマハ・デイリー・ビー」紙より
  • 英語原文「Governor Mc-Kinley threw the ball into the diamond. 」
  • 日本語訳「州知事がグラウンドにボールを投げ入れた」
  • 始球式のやり方は 日本の方法とは違い客席からグランドに向かって球を投げるスタイルでした。
  • アメリカでは空振りどころかバッターが打席に立っていなかったのです。
  • 始球式で空振りをするのは日本発祥のようです。
  • 日本に野球が伝わったのは明治5年ごろのことです。
  • 日本の野球に大きく貢献した1901(明治34)年 創部の早稲田大学野球部でアメリカ遠征もしていました。
  • アメリカ遠征中に「始球式というものがある」ことを知って日本でもやってみることにしました。
  • 1908(明治41)年11月に来日したアメリア野球選抜チームの「リーチ・オール・アメリカンズ」と日本のチームが対戦することになりました。
  • 記念すべき第1戦目は早稲田大学野球部との試合でした。
  • 早稲田大学野球部が第1戦目であったことやアメリカの職業野球選手が日本で最初の試合だったため記念として日本で最初の始球式を行うことになりました。
  • 始球式にふさわしい人物として選ばれたのは早稲田大学の創設者の大隈重信さんでした。
  • 大隈 重信(おおくま しげのぶ)さん
  • 大隈重信さんは内閣総理大臣も務めた まさに政界の重鎮 その大物が日本初の始球式を投げることになったのです。
  • 大物の大隈重信さんによる始球式に予想以上に観客が集まってしまい 大隈重信さんの側近たちは…
  • 「予想以上に集まった観客全員に見えるように大隈重信さんにはマウンドから投げていただいた ほうがいいのではないか?」
  • 「それならいっその事 試合同様に打者が立ったほうが 大隈重信さんも さぞ気分を良くなさるのではないか」と打合せをしました。
  • そこで当時 早稲田大学野球部主将で1番バッターだった山脇正治さんが打席に立つことになりました。
  • 山脇 正治(やまわき まさはる)さん
  • 山脇正治
  • 山脇正治さんは「打席に立って 私はどのようにしたらいいのでしょうか?」と側近たちに質問しました。
  • 側近たちは「それは自分で考えなさい」と言い放ちました。
  • そして日本初の始球式に望むべく大隈重信さんがグランドに足を踏み入れたました。
  • 野球帽をかぶって選手たちとご満悦に写っている大隈重信さんの写真が残っています。
  • マウンドから投げる始球式は この時がおそらく世界初の試みでした。
  • ここからはチコちゃんたちの妄想です「このときの山脇正治さんや側近たちは みんな なんとなく大隈重信さんの投げた球を山脇正治さんが見逃してストライクになるだろうと想像していたのではないかと…」
  • 大隈重信さんはピッチャーがどのように球を投げるかを知らなかったかもしれませんが 投げた球はキャッチャーまで届かず途中で止まってしまいました。
  • その状況に会場の空気も凍りつきました。
  • そんな静寂の中 アメリカチームのキャッチャーが球を拾いに行きました。
  • もしキャッチャーが球を拾ってしまうと判定はボールになってしまいます。
  • 判定がボールになると大隈重信さんに恥をかかせることになってしまうと考えた山脇正治さんは「自分しかこの状況を救えない」と思い空振りをして判定をストライクにしました。
  • 山脇正治さんが取った とっさの判断で空振りしたことにより大隈重信さんのメンツは保たれて会場は拍手喝采が巻き起こりました。
  • この空振りがきっかけとなり日本の始球式は どんな球がきても空振りをする始球式が始まりになりました。
  • しかし 翌日の新聞では この空振りには触れられていませんでした。
  • 新聞紙面には「球はバッターボックスに転がった。捕手は直(じか)に球を取った。これを(大隈)伯爵に贈呈して始球式が終わった」と掲載されました。
  • 始球式の顛末(てんまつ)が明らかになったのは14年後の大隈重信さんが亡くなられたあとの総合スポーツ誌「運動界」1922(大正11)年3月号の記事でした。
  • 「捕手はマスクを投げ捨てると狼狽(ろうばい)して球を拾いに行った。第一打者の山脇君は思い出したようにバットを振る」と書かれています。
  • 大隈重信さんは早稲田大学の創設者で内閣総理大臣も務めた大物だったためにバッターが気を遣ってバットを振ったということは翌日の新聞は書けなかった あるいは書かなかったのです。
  • それだけ大隈重信さんは偉大な人物だったということでした。
  • それでは 始球式でわざと空振りをした山脇正治さんとは どんな人物だったのかというと?
  • 山脇正治さんの長女の美那枝さん(97歳)にお話をお聞きました。
  • 山脇正治さんの長女 美那枝(みなえ)さん
  • 山脇美那枝
  • 番組D「お父様が空振りをした話はご存知でしたか?」
  • 美那枝さん「あんまり聞いてないんですよ。」
  • 美那枝さん「おしゃべりで ひょうきんで 明るい人でしたね。」
  • 美那枝さん「どこに行ってもすぐに笑わせたり オナラなんかボーボー 平気でしちゃうんのよ。」
  • 美那枝さん「私はイヤで、うふふ」
  • とかなり愉快な方だったようですね。

チコちゃんに叱られる!なぜ始球式で空振りをするようになった? まとめ

今回は、チコちゃんに叱られる!なぜ始球式で空振りをするようになった?
について情報発信させていただきました。