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チコちゃんに叱られる!なぜ讃岐うどんは香川名物になった?5月3日

5月3日放送のチコちゃんに叱られる!働き方改革のコーナーで
なぜ讃岐うどんは香川名物になった?
という質問がありました。

チコちゃんに叱られる!なぜ讃岐うどんは香川名物になった?

なぜ讃岐うどんは香川名物になった?

答えは、大ピンチだった香川さんが大阪万博で売りまくったから

教えてくださるのは
「香川屋」の香川正義さんの息子さん
香川政明さん(かがわ まさあき)

  • なぜ讃岐うどんは香川名物になった?
  • そのキッカケを作ったのはその名も「香川屋」の香川正義(かがわ まさよし)さんだそうです。
  • 1960年代に香川県内では家庭や大衆食堂、喫茶店で食べられていた「うどん」だそうです。
  • このころはまだ全国区になっていなかったそうです。
  • 讃岐うどんと言えば、コシが強いのが特徴だそうです。
  • このコシが強いのを作るのが足を使って踏む、足踏み製法だそうです。
  • 香川正義さんも当時40年以上続くうどん屋さんで足踏みをしてうどんを作っていたそうです。
  • 1964年にある大事件が勃発したそうです。
  • 県外の観光客の方から「食べ物を足で踏むのはいかがなものか」ということが発端になって香川県のうどん業界は非常にビックリしたそうです。
  • 県外からの観光客から足踏み製法は「不衛生」「汚い!」「不潔!」「食べたくない!」と指摘されたそうです。
  • 足踏み製法を指摘されたことで香川県は「足踏み禁止」を決定したそうです。
  • これに対して、うどん屋さんは猛反対したそうです。
  • そんな中、当時、組合の役員をしていた香川正義さんは一つ大きな決断をしたそうです。
  • 足踏みをしなくてもいい会社を作ったそうです。
  • うどんを機械で作る製麺工場を設立したそうです。
  • しかし、反対運動を受けて香川県は
  • 食べにくるお客さんだけに営業する個人業者には足踏みを許可、製麺業者には足踏み禁止にしたそうです。
  • 香川政明さんが工場でつくるうどんは香川県内では全く売れず会社は倒産寸前の大ピンチになったそうです。
  • そんな香川正義さんに、思いも寄らぬチャンスが訪れたそうです。
  • 美味しいうどんをお寿司と一緒に大阪万博で売りたいというような話があったそうです。
  • 1970年アジアで最初に開催された万国博覧会の大阪万博77か国が参加して最新技術を発表したそうです。
  • そんな熱気あふれる大阪万博の会場内3カ所で1食100円で販売したそうです。
  • 当時22歳だった香川政明さんも父親の香川政明さんについて大阪万博に行ったそうです。
  • 香川政明さんいわく「ビックリするくらいの反応がありましたね。」
  • 「多いときには(1日)1万食近くのうどんが売れた、お祭り騒ぎ。倒産寸前の会社より、ひたすら売れることに対する嬉しさと楽しい毎日」だったそうです。
  • 大阪万博開催中、約160万食のうどんを販売したそうです。
  • お客さんの口コミで評判が広まり知名度は一気に全国区になったといわれているそうです。
  • さぬきうどん研究会 会長の諏訪輝生さんによると
  • 「大阪万博以降3年間で讃岐うどんの出荷額が2.5倍35億円増加した」ということだそうです。
  • さらに香川県内にうどんを食べにくるの観光客も増加したそうです。
  • その後1990年代には冷凍うどんの販売やセルフ式のうどん店が全国に進出するなど空前の讃岐うどんブームが巻き起こったそうです。
  • 倒産寸前だった香川政明さんの会社は、売上も増えて、従業員もどんどん増えていったそうです。
  • 香川さんの会社は現在、年商8億5千万円だそうです。

チコちゃんに叱られる!なぜ讃岐うどんは香川名物になった? まとめ

今回は”チコちゃんに叱られる!なぜ讃岐うどんは香川名物になった?”
について情報発信させていただきました。