4月12日放送のチコちゃんに叱られる!で
学校に校歌があるのはなぜ?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!学校に校歌があるのはなぜ?
学校に校歌があるのはなぜ?
答えは、フランス革命のマネをしたから
教えてくださるのは
2019年3月まで校歌の研究をしていた
元 東京大学 教授
東京音楽大学 教授
渡辺 裕 先生(わたなべ ひろし)
- 校歌が作られ始めたのは明治30年代くらいからだそうです。
- 最初は国民に理想のあの在り方を人々に植え付けるために誕生したそうです。
- 校歌で理想の国民像を植え付けることが、西洋のフランス革命に始まる歌の流れというものに直接的に影響を受けているそうです。
- フランス革命とは?
- 1789年フランス国民が王政を倒し自由で平等な社会を獲得した市民革命。
- 現在のフランス国歌はフランス革命のときに民衆の心を一つにした歌の一つだそうです。
- フランス国歌⇒革命の歌「ラ・マルセイエーズ」
- 歌詞を日本語に訳すと
- 「市民らよ 武器を取れ 隊列を組め」
- 「進もう 進もう!」
- 「汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで」
- そのため国歌としてはちょっと過激な内容なのだそうです。
- フランス革命から約80年後 日本は明治維新を迎えたそうです。
- 日本政府は欧米からさまざまな文化を導入したそうです。
- 明治政府はかなり早い段階から音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)という組織を作ったそうです。
- 音楽取調掛とは、西洋音楽を研究し新しい日本の音楽文化の基礎を作るため結成された組織だそうです。
- 音楽取調掛が調べていた音楽は?
- 芸術としての音楽ではなく、国家統治の道具としての音楽を調査していたそうです。
- そこで、フランス革命のときに人々が歌を歌うことで気持ちを統一するということを基に同じ歌を歌うことが意思統一において強力な道具になると考えたそうです。
- 明治政府が発足した当時、近代化を急いでいた明治政府は支配体制がガラリと変わった明治の世の中において自分が日本国民であるという愛国心を養う方法として歌を使おうと考えたそうです。
- 西洋音楽を勉強した人材が育ち始めた明治の半ば、このころから徐々に学校の校歌を作り始めたそうです。
- 明治27年 文部省訓令 第七号により学校で歌う歌は当時すべて文部省の許可が必要と定めたそうです。
- すると学校側が政府に忖度し愛国心や郷土愛などを養う校歌が作られていったそうです。
- 歌詞の例として一番わかりやすいのが新潟県の南魚沼市にある上関小学校(うわせきしょうがっこう)にあるそうです。
- 新潟県南魚沼市立 上関小学校 校歌
- 作詞:中澤信治、作曲:信時 潔
- 「漁川(ぎょせん)の流(ながれ) 清らかに」
- 「映る飯士(いひじ)の 山崇髙(やまたふと)」
- 「御代の恵と 父祖(おや)の恩」
- 「忘るる間なく 勵(はげ)みつつ」
- 飯士とは、地元にある「飯士山(いいじさん)」のことだそうです。
- このように当時の効果は郷土愛を歌い、天皇を中心とする国家や両親を大事にする立派な人間になれという内容になっていたそうです。
- しかし、校歌は時代の変化と共に内容も変化していったそうです。
- 校歌は、今までの国のためというのではなくて、希望・自由・平和を前面に出す歌詞が、戦後になると多くなってきたそうです。
- さらに日本が高度経済成長期を迎えて街の様子が激変すると
「校歌が時代に合っていない」
- という声が上がって、校歌が作り変えられていったそうです。
- 東京・西新宿の高層ビル群に囲まれた西新宿小学校の統廃合される前の校歌は?
- 西新小学校の前身、東京都新宿区立 淀橋第六小学校 校歌(1950年)
- 作詞:深尾須磨子、作曲:平岡照章
- 「あかるい町の 学校よ」
- 「ゆたかなみどり 木々のかげ」
- 「遠くに富士も 見えている」
- と歌詞に富士山も登場していましたが現在は見えなくなってしまったので
- 東京都 新宿区立 西新宿小学校 校歌
- 校歌名「世界の風に羽ばたいて」
- 作詞:峯 陽、作曲:小林秀雄
- 「大空を押しあげて 高層ビルが」
- 見えない富士山から見える構想ビルへ時代に合った歌詞になっているそうです。
- さらに、J-POPふうものとか、昔の校歌からすると校歌らしくないと思うような校歌もどんどん増えているそうです。
- 千葉県 野田市立 岩木小学校 校歌
- 作詞:岡野久米、作曲:山崎八郎
- 「岩木のイの字は 行こうの イの字」
- 「岩木のワの字は われらの ワの字」
- 「岩木のキの字は 希望の キの字」
- 「ああ岩木 岩木小学校」
- まるで歌詞が「あいうえお作文」のようになっている珍しい校歌だそうです。
- つづいて
- 愛知県 至学館高等学校
- 校歌名「夢追人」
- 作詞・作曲:飯尾 歩、編曲:浦 清英
- 「夢を追い続けた そしてここまできた」
- 「でもどうしてかな 熱い涙が止まらない」
- 「うつむきかけた時 君の顔が見えた」
- 「差し出された 白い腕が翼に見えた」
- 曲はエヴリ・リトル・シングの曲のようなメロディーです。
- 実はこの曲は、アテネ五輪 女子レスリング48Kg級 銀メダル 伊調千春さんをモデルに作られた曲だそうです。
- 曲を作った方が、銀メダルに終わった伊調千春さんを励ますために作った曲だそうです。
- 当時は中京女子大学で、現在の至学館大学を卒業されています。
- さらに最近は有名アーティストに校歌を依頼する学校も増えて、そうそうたる顔ぶれが校歌を制作しているそうです。
- 一例をあげると
- 大阪府立 かわち野高等学校 ⇒ つんく♂
- 神奈川県 横浜創学館高等学校 ⇒ 小田和正
- 広島県 如水館中学・高等学校 ⇒ 久石 譲
- 栃木県 宇都宮工業高等学校 ⇒ 布袋寅泰
- 実は八代亜紀さんも2012年に校歌を作詞・作曲されているそうです。
- 熊本県 熊本県立 八代清流高等学校 校歌
- 作詞・作曲:八代亜紀、編曲:橋本正臣
- 「今の僕らは」
- 「明日を知らない」
- 「だから学ぼう」
- 「清らかな 学舎で」
- 八代亜紀さんが校歌で伝えたかったことは?
- 八代亜紀さんがいつもおっしゃっている
- 「生きていかなきゃ損するよ」
- 「明日を知らないのは当たり前だよ」
- 「知らないのに悩んでもしかたないよ」
- といつも言っているそうです。
学校側からは「そのままお願いします」と言われたそうです。
- 八代亜紀さんの卒業した学校の校歌を覚えているか聞いてみると?
「全然覚えてないねぇ~!」
- という答えでした。
- 今回教えてくださった渡辺先生によると東京大学には校歌がないそうです。
- 校歌を作ろうという議論をしたのですが話がまとまらずに現在も校歌はないそうです。
チコちゃんに叱られる!学校に校歌があるのはなぜ? まとめ
今回は、チコちゃんに叱られる!学校に校歌があるのはなぜ?
について情報発信させていただきました。