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チコちゃんに叱られる!なぜ握りずしの1人前は10個? 5月21日

5月21日放送のチコちゃんに叱られる!で
なぜ握りずしの1人前は10個?
という質問がありました。

チコちゃんに叱られる!なぜ握りずしの1人前は10個?

なぜ握りずしの1人前は10個?

答えは、それですし絶滅の危機を乗り越えたから

詳しく教えてくださるのは
昭和・平成・令和とお寿司の歴史をその目で見てきた生き証人
東京・西早稲田 創業明治元年創業 江戸前寿司 八幡寿司 4代目 87歳
安井 弘 さん(やすい ひろし)
安井弘

  • きゅうりを巻いたかっぱ巻きを考案したのがこの方ですが、
  • 昭和・平成・令和とお寿司の歴史を見て来た郷土史家という一面も持つ安井さんによると、
  • 戦後まもなく日本の寿司店は絶滅してしまったそうで、
  • その後、昭和22年に「お米1合で握り寿司10個を出す」という起死回生のアイデアから寿司が復活したとの事。
  • ここで始まるのがチコジェクトX。
  • 「すしのない国になるところだった ~握りずし復活物語~」
  • 江戸時代の屋台で生まれた握り寿司の文化は日本における象徴的な食文化の一つとして発展。
  • 戦前、昭和初期には東京の寿司店は3000軒を超えていていたそうですが、戦後になるとこの状況が一変して寿司店は絶滅の危機に。
  • 太平洋戦争が始まる昭和16年、寿司店の命とも言えるお米、魚が配給制に。
  • そんな配給もどんどん減らされる一方で、寿司を握ろうにも握るものがないという先の見えない時代に突入。
  • それでも寿司文化継承の為に作られていたのが「戦時ちらし」というメニューで、
  • これは魚ナシで野菜を主体に使ったちらし寿司の事。
  • こうして何とか生き永らえていた寿司店でしたが、昭和19年半ばには店を閉める所がどんどん増える事になり、迎えた昭和20年の終戦。
  • 日本は多くの物を失ってお米や魚の配給は継続される中、寿司店にとって最後通告とも思える衝撃的な出来事が。
  • 「飲食営業緊急措置冷」
  • 限られた食料を国民に配給する為に一部許可されたお店以外は日本中の飲食営業は原則禁止される事に。
  • 許可されたお店に寿司店は含まれておらず、日本からは寿司が消滅。
  • この時寿司文化を守るべく立ち上がったのが銀座の寿司店店主の八木輝昌という人物。
  • 寿司組合の中心人物にして寿司業界の為に労を惜しまなかった苦労人。
  • 組合員を集めて何とか打開策を打ち出せないかと議論を重ね、
  • 目を付けたのが国民に配給される1合の配給米の存在。
  • 家庭でお寿司は握れないので、あの米を使って我々が握るのはどうか?というアイデアをひねり出し、
  • 寿司の委託加工
  • を行う事に。
  • 寿司を売るのではなく、加工して食べてもらうという新しい発想。
  • お客さんが持参した配給米を握り寿司に加工してお客さんに返すという営業形態であれば飲食業では無く、加工業。
  • ナレーション「寿司職人だけにイカしたアイデアだった。」
  • 八木輝昌らは時の東京都知事・安井誠一郎に直談判に向かい、これで事態が動き出すかと思いきや、東京都の答えは「許可できない」という非情なものでした。
  • 東京都としては「米はOKでも魚がダメ」という理由。
  • 配給に影響が出ては困るので寿司屋に魚は都合できないという返答でしたが、
  • ここで八木輝昌らは「配給で規制されていないものがあるじゃないか!貝、海老、川魚、かんぴょう、しいたけ、卵。加工賃40円を貰えれば10種類のネタを用意できる!米1合を10個の握り寿司にします!」
  • と交渉。
  • 40円で10種類握るのであれば多少儲けも期待できるので商売としては成り立ち、寿司店の生き残りもギリギリ望めるという展望。
  • そしてこの粘り強い交渉が功を奏して東京都はOKを出すことに。
  • ここに寿司10個(貫)という数字が誕生。
  • 昭和22年に「持参米鮨委託加工」という看板が出された寿司加工店が営業を開始すると、瞬く間にお客さんがやって来て寿司の絶滅は回避される事に。
  • そして戦後、日本が復興すると寿司店の数もどんどん増えていきますが、1人前10個の目安はそのまま継続される事に。
  • 現在はお店や値段によってお寿司の数が増減したり、1合よりも少なく握るケースもあるそうですが、10個は配給米の基準から来たものだったというわけですね。

チコちゃんに叱られる!なぜ握りずしの1人前は10個? まとめ

今回は チコちゃんに叱られる!なぜ握りずしの1人前は10個?
について情報発信させていただきました。