5月15日放送のチコちゃんに叱られる!で
たこあげはなぜ「たこ」?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!たこあげはなぜ「たこ」?
たこあげはなぜ「たこ」?
答えは、イカが禁止されたから
詳しく教えてくださるのは
日本の民族学に詳しい
法政大学 兼任教員
長沢 利明 先生(ながさわ としあき)
- 実はたこあげのたこは昔はいか・いかのぼりと呼ばれていたそうです。
- たこの起源は、紀元前4世紀ごろの中国で使われていた 紙鳶(しえん) といわれているそうです。
- 戦のときに遠くの味方に合図を送る目的で使っていたもので怪しまれないように野鳥に似せた形をしていたそうです。
- その後、平安時代に日本に伝わった 紙鳶 は魔物や病気などが風に乗ってくるのを追い払う厄払いの道具として使われたそうです。
- それが転じて縁起物になり全国に広まって月日とともに様々な形のものが生まれたそうです。
- 江戸では空中でバランスをとれるようにするため数本の長い紙や糸のついたものが多く使われるようになったそうです。
- ヒラヒラと足のようなものがついていた、この形があたかも海の いか のように見えたそうです。
- だから江戸時代には、これを いか ・ 紙鳶(いかのぼり)と呼んでいたそうです。
- そしてそれが大流行したそうです!
- 江戸時代 いかのぼり は子供だけでなく大人の遊びとして楽しまれたそうです。
- お正月に限らず日常的な娯楽の1つだったそうです。
- 大ブームだった いかのぼり ですが、これが原因で様々なトラブルも起こったそうです。
- 江戸では大問題となり、これがきっかけで たこ が生まれたそうです。
- いかのぼり の騒動が原因で たこ が生まれたとはいったい?
- 時は1646(正保3)年 三代将軍 徳川家光の時代。
- 大ブームだった いかのぼり は、しばしば上空で接触したそうです。
- それが原因でケンカが多発していたそうです。
- さらに落下した いかのぼり があたり けが人や死者が出る事態になったそうです。
- 当時の社会問題になっていたそうです。
- そして、さらなる大騒動が起こったそうです!
- 1646(正保3)年3月25日 火のついたままの いかのぼり が江戸城に落下したそうです。
- テロなのか事故なのかわかりませんが大事にはいたらず、結局 犯人もわからずじまいだったそうです。
- この事態に江戸幕府は黙っていなかったそうです。
- 江戸幕府は町奉行を通じて いかのぼり禁止令 を発令したそうです。
- いかのぼり でけが人や死人が出るという一大事に加えて…
- テロともいえるような江戸城への攻撃が行われたらしいということで…
- 幕府も対策をせざるを得なくなったと思われるそうです。
- いか が禁止だったら たこ をあげてしまえばいいんだと…
- 江戸の庶民たちは屁理屈を思いついたそうです。
- 庶民の屁理屈から生まれた たこ ・ たこのぼり は同じように流行したそうです。
- しかし、たこ になっても もめ事は同じように起こり いかのぼり禁止令 の10年後の1656(明暦2)年 たこのぼり禁止令 が発令されたそうです。
- この たこのぼり禁止令 を庶民は無視し続けたそうです。
- 江戸ではさまざまな禁止令があったため奉行は多少のことには目をつむっていたそうです。
- 年中楽しまれていた たこあげ が お正月には家内安全・商売繁盛を祈願してあげられるようになったそうです。
- その習慣が現在も残っていると考えられているそうです。
チコちゃんに叱られる!たこあげはなぜ「たこ」? まとめ
今回は、チコちゃんに叱られる!たこあげはなぜ「たこ」?
について情報発信させていただきました。