7月24日放送のチコちゃんに叱られる!で
カレーパンはなぜ揚げる?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!カレーパンはなぜ揚げる?
カレーパンはなぜ揚げる?
答えは、カツレツに見せるため
詳しく教えてくださるのは
年間カレーパンを500個以上食べる
カレーパン好きの皆さんが集う 日本カレーパン協会会長
佐藤 絵里 先生(さとう えり)

- カレーパンを作った元祖のお店が東京の森下にあります。
- さっそく行ってみると…
- 行列が!
ここから詳しく教えてくださるのは
創業1877(明治10)年 カレーパンを作った元祖のお店
東京・江東区・森下 元祖カレーパン Cattlea カトレア 5代目 現社長
中田 豊隆 さん(なかた とよたか)

- カレーパン 1日で約1,500個売れます。
- こちらが 元祖カレーパン
- カレーがたっぷり入っています。
- さっそく なぜ揚げているのか聞いてみると…
- 大正の終わりから昭和の初めにかけまして洋食ブームというのがあったわけですよ。
- 2つの人気商品がありまして…カツレツとカレーライス
- その2つのいいところをミックスして出来上がったのがカレーパンということになります。
- カツレツとカレー?
- カレーパンは2代目の豊治 つまり私の祖父にあたるんですが 彼が考えました。
- こちらが カレーパンを考案したという2代目の中田 豊治(なかた とよじ)さん
- 番組D「ご夫婦でやってたんですか?」
- 中田さん「奥さんの方は販売のほうに力を入れてたような気がします」
- 1927(昭和2)年 東京の下町 森下は1923(大正12)年 4年前に起きた関東大震災の爪痕が残る中 大規模な経済危機も起こり 日本はまさにどん底の時代。
- 森下に住む人々も助け合いながら生きていました。
- 豊治のパン屋さんも震災で全壊。
- その後 なんとかパン作りを再開したが…
- 客は来ず パンが売れずに悩んでいました。
- そんな豊治の心の支えになっていたのは 妻の啓枝(けいし)。
- 啓枝は「みんなが食べて笑顔になる そんなパンが食べたい」といいました。
- 妻の笑顔が見たい そんな思いを胸にオリジナルのパン作りに励む豊治でしたが…
- 啓枝が「カツレツでもお腹いっぱいが食べてみたいわね」といいました。
- 大正から昭和にかけて世は空前の洋食ブーム。
- その代表的なメニューといえば カツレツ。
- 庶民には手が届かない憧れでした。
- 「カツレツを食べさせて啓枝を笑顔にしたい」豊治はそう思いました。
- カツレツを食べさせてやることはできない。
- しかし カツレツのようなパンなら作れるかも…
- そう考えた豊治はパンを油で揚げてみたのです。
- 揚げたパンはカツレツそっくりに。
- しかし 食べると味気なかったのです。
- カツの代わりに何を入れればよいか悩んでいました。
- そんなとき …
- 啓枝が「相性のいいもの入れたらどうかしら 私達みたいに仲良くね!」といいました。
- 当時 カツレツの他にもう一つ人気メニューがあったのです。
- それが カレーライス。
- 豊治は その2つをパンにしてしまおうと思いついたのです。
- しかし パンの中にカレーを入れるという 誰もやったことのない この試みは…
- 水分だらけでベチャベチャになってうまくいきませんでした。
- 出来上がりのカレーのルーは水っぽいじゃないですか。
- これは当然 パン生地の中に詰め込むができないので1日寝かすわけですよ。
- 少し固まると そうするとパン生地の中に詰めやすくなる。
- 番組D「受け継がれてきた作り方?」
- 中田さん「まあ そういうことですね」
- 妻に食べてもらうと…「Good job!」(といったかどうかわかりませんが…)
- カツレツに似せるために揚げたこと。
- そして 揚げたことでカレーが漏れ出ないという偶然の産物。
- まさに奇跡の一品でした。
- こうして生まれたカレーパンは カツレツなどの高価な洋食に手が届かない庶民の人気となり爆発的に広まっていったのです。
- 佐藤先生「やはり パンをカツレツのように揚げるという 革命的なアイデア 日本で最初のB級グルメだったのかもしれないですね」
チコちゃんに叱られる!カレーパンはなぜ揚げる? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!カレーパンはなぜ揚げる?
について情報発信させていただきました。