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チコちゃんに叱られる!中国地方の「中国」ってなに? 1月3日

1月3日放送のチコちゃんに叱られる!で
中国地方の「中国」ってなに?
という質問がありました。

なるほどという答えが気になったので調べてみました。

チコちゃんに叱られる!中国地方の「中国」ってなに?

中国地方の「中国」ってなに?

答えは、中間の国という意味

詳しく教えてくださるのは
日本の歴史に詳しい
京都・宇治市 国際日本文化センター 教授
井上 章一 先生(いのうえ しょういち)

  • 中国地方の中国は中間の国という意味だそうです。
  • 現在の中華人民共和国とは関係がないそうです。
  • 中国地方という呼び名が生まれたのは今から1000年以上前の奈良時代だそうです。
  • 当時は五畿七道という地域の呼び方がすでに存在していましたが、この五畿七道とは別に都からの距離によっても地域の呼び方がざっくりと別れていたと先生はおっしゃいます。
  • 今でいう奈良、京都南部、大坂、兵庫南東部を畿内と呼んだそうです。
  • その畿内から近い所を近国(きんごく)、遠く離れた国を遠国(おんごく)
  • 近国と遠国との中間の国を中国(ちゅうごく)と呼んだそうです。
  • 畿内から現在の岡山県 岡山市くらいまでの比較的近いこの地域のことを近国。
  • 遠国は、島根、広島の一部、山口、愛媛、高知、九州一帯を含む畿内から遠いこの地域を指すそうです。
  • そして中国は、鳥取、島根、岡山、広島のそれぞれ一部分と香川、徳島辺りを指しているそうです。
  • しかし、今でいう中国地方は鳥取、島根、岡山、広島、山口の5県のこと。
  • なぜ、現在の中国地方はこの5県を指すようになったのでしょうか?
  • 畿内と博多 大宰府は交通の要衝、商業の中心地だったそうです。
  • そして北九州と畿内を人々は頻繁に行き来していたそうです。
  • 必ず中国を通る、それがやがて習慣化して中国路となったそうです。
  • 奈良から平安時代にかけて遠国の九州は、東アジアとの貿易の窓口であった大宰府を中心に商業が栄えていたそうです。
  • そのため、近国と遠国を結ぶ通り道、山陽道や山陰道は人々が絶えず行きかっていたそうです。
  • 先生によれば中国をを通ることから中国路と呼ばれ、やがて中国という言葉だけが残り、今の県がある一帯を中国地方と呼ぶようになったしyです。
  • そして1582年豊臣秀吉が織田信長の命令で中国の大名 毛利輝元と対決していた、そのとき、明智光秀が襲撃した本能寺の変が勃発。
  • 主君が死亡したという知らせを聞いた豊臣秀吉は毛利輝元との講和をいち早くまとめ、織田信長の仇を討つため2万以上もの軍勢を引き連れ、わずか10日とも8日といわれる日数で中国から京都へおよそ200Kmの道のりを取って返したそうです。
  • まさに中国大返し。
  • そして、明智光秀は豊臣秀吉と天下分け目の天王山で激突するそうです。
  • 目の前には豊臣秀吉の大軍、果たして織田信長を倒した明智光秀の運命はいかに!?
  • この続きは大河ドラマ「麒麟がくる」をご覧ください。
  • 井上先生から最後に、西側の話はしましたが、実は畿内の東側にも近国、遠国、中国があるそうです。
  • 東の中国は現在の福井の一部、岐阜の一部、石川、富山、長野、山梨、静岡といった県も昔は中国だったそうです。
  • なぜ、東側は中国と言わなくなったかははわからないそうです。
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チコちゃんに叱られる!中国地方の「中国」ってなに? まとめ

今回は、チコちゃんに叱られる!中国地方の「中国」ってなに?
について情報発信させていただきました。

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