4月30日放送のチコちゃんに叱られる!で
そばのせいろはなぜ上げ底?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!そばのせいろはなぜ上げ底?
そばのせいろはなぜ上げ底?
答えは、将軍・徳川家斉(いえなり)がぜいたく三昧だったから
詳しく教えてくださるのは
江戸料理文化研究家
車 浮代 先生(くるま うきよ)
- せいろそばが上げ底になった由来をさかのぼると江戸時代までさかのぼることになります。
- そばが日本に伝わったのが飛鳥時代(※諸説ありあます)
- そこから食べ方がいろいろ進化して その都度 器も変っていったんです。
- 中国から伝来したといわれる そば。
- 元々は そば粉を熱湯でこねた そばがき を器に盛って つゆにつけて食べていました。
- その後 戦国時代には そば切りといって現在 皆さんがイメージする細く切った形の そば が食べられるようになりました。
- そば は茹でてたべるのが一般的ですが 当初は蒸して食べられていました。
- その時 そばをせいろに盛って蒸して それを器としてそのままお客さんに出すお店が登場したんです
- これが そば を せいろ に盛るルーツです。
- 後に そば は茹でて食べるようになり皿に盛ったり 水を気を切るためにザルに盛ったりもしましたが 引き続き せいろ は そば の器として使われていました。
- この頃の せいろ は蒸し料理などにも使っていた底が上がっていない せいろ が使われていたと言われています。
- せいろ の底が上がったのは 江戸時代 徳川 家斉(とくがわ いえなり)が将軍だったころだと言われています。
- 1787年に13歳で将軍の座に就いた家斉。
- その若さもあり実質的に政治を動かしたのは老中・松平 定信(まつだいら さだのぶ・当時28歳)でした。
- 定信が着手したのは寛政の改革。
- 前の老中・田沼 意次(たぬま おきつぐ)の賄賂政治を改めるため財政の切り詰めを始め 幕府内でも厳しい倹約令がしかれました。
- 質素倹約は 庶民にも求められ その結果 さまざまな物の値段が下げられたのです。
- そんなとき…
- NHKたぶんこうだったんじゃないか時代劇 十一代目 暴れん坊将軍家斉 いえなりのいいなりでいいナリ!?
- 時は寛政。
- 町人たちに混じり そば をすする男っぷりのいい この少年。
- 実は当時 17歳。
- 十一代将軍・徳川家斉(目黒祐樹さん) その人である。
- 家斉「やっと声変わりしました」
- 家斉は時に町人に身をやつし 蕎麦屋に出入りしていた。
- 店に貼られた そば の値段を見て…
- 家斉「あれっ!おやじさん そば 14文って値下がりしたのかい」
- そば屋の店主(池田鉄洋さん)「そうなんだよ!奉行所からのお触れでさぁ」
- 寛政の改革で そば の値下げが命じられていた。
- そば屋の店主「松平定信のせいでさぁ 質素倹約だかなんだか知らねえけど こっちゃ もうたまったもんじゃねえよ まったく将軍様は何考えているんだか」
- 将軍とはいえ 齢わずか17歳。
- 老中・定信に従わざるおえない少年将軍。
- 家斉は その悔しさに耐えるしかなかった。
- 寛政の改革で そば は16文から14文に値下げされました。
- その時 蕎麦屋さんたちは苦肉の策ととして1人前の そば の量を減らして対応したんです。
- 年を重ねるにつれ定信の質素倹約ぶりに反発するようになった家斉。
- 家斉「世は贅沢が好きじゃ!」
- ついに定信を老中の座から追放。
- 定信から解放された家斉。
- 江戸城で贅沢三昧。
- 豪華絢爛な大奥が最盛期を迎えた。
- 家斉は側室に「そばへ寄れ そばへ寄れ」(そば だけに そば つながり?)
- 家斉「そういえば 今 市中の蕎麦屋は1杯いくらで商売しておる?」
- 側室「そば でございますか? 16文でございます」
- 家斉「ざま~みろじゃ! そ~れ~」
- 側室「あ~れ~」
- と時代劇の定番・帯引き回し!
- 家斉は生涯で側室を40人以上おき 子供の数は55人を数えました。
- この数は歴代将軍の中でも断トツです。
- その贅を尽くした生活のための費用や子どもたちの養育費は莫大なものでした。
- 幕府の財政は悪化の一途をたどります。
- 時の老中・水野 忠成(みずの ただき)らは幕府の財政立て直しのため貨幣を大量発行します。
- 市場には貨幣が溢れ急激なインフレ。
- つまり お金の価値が下がって物の値段が急激に高くなり人々の生活は圧迫されます。
- さらに飢饉などが追い打ちをかけ 生活苦からの百姓一揆や打ちこわしが激発。
- 1837年の大塩平八郎の乱も起きました。
- この事態に63歳になった家斉は「そうか 物価が上がって民が苦しんでおると」
- 家臣「ははっ!」
- 家斉「値下げじゃ~!」
- 家臣「ははっ!」
- そば屋の店主「おっなんだ なんだ はぁ~ なんだこりゃ そば16文が15文だと! なんてことしてくれたんだぁ~」
- 物価が上がっているというのに そば は15文に下げられてしまったので 蕎麦屋たちは幕府に値上げ要請をしたんです。
- しかし この願いは通りませんでした。
- そして…
- 家斉がお忍びで蕎麦屋を訪ねると注文した そば の量が少なすぎて驚きました。
- 家斉「ううん! おやじ! これはちょっと…」
- そば屋の店主「だぁろう! 少くねぇよなぁ けち臭いと思ってんだろ 俺だってけち臭いと思ってるよ だけど 多くできねえんだよ あ~も~しまいだしまいだ」
- そば屋の店主は そば の せいろ を振りました。
- と それを見た家斉は あることが閃きました。
- 家斉「こ~れだ!」
- そして せいろをひっくり返して上げ底になった状態で そば を盛りました。
- そば屋の店主「こいつは豪勢に見えるなぁ~!」
- 家斉「裏返っても器は器だぁ」
- そば屋の店主「な~るほどなぁ!」
- 家斉「はははははっ!」
- そば屋の店主「はははははっ!」
- なんとか安い値段で そば を売ろうと職人たちが知恵を絞った結果 せいろ をひっくり返して 底上げを思いついたんではないかと言われています。
- 家斉「そば の値上げの件はどうなった?」
- 家臣「はっ! そば屋たちが値上げしろとは言わなくなりました」
- 家斉「良かったではないか」
- 家臣「しかし せいろ を底上げして客の目を欺くという悪どい話でございます 近々取り締まってやろうかと」
- 家斉「はははははっ! そうか! 許す!」
- 家臣「はぁ~! ははっ!」
- 今日もお江戸は日本晴れ。
- 皆が そば のように長く幸せになって欲しいと願う 家斉であった。
- 家斉「贅沢はやめられんのぉ~」
- てなことがあったとかなかったとか。
- 番組D「こういうことでしょうか?」
- 車先生「はい とても面白かったと思います 実際 せいろの底が上がったいきさつは伝聞として伝えられていることで確かな資料は残っていないんですね まぁ でもたぶんこういう事だったんじゃないかと思います」
- 番組D「家斉に関しては?」
- 車先生「あのぉ~ 町に出ているのは ありえないかなぁ~と思いますけどね」
- 現在もよく耳にする二八そばという言葉ありますが…
- つなぎが2割 そば粉が8割という意味で使われていますが 車先生によりますと江戸時代はそば が2×8の16文だったので二八そばということなんですね。(※諸説ありあます)
- ですので そば が14文に値下げされた時には看板を2×7の二七そばと書き換えた お蕎麦屋さんもいたということです。
チコちゃんに叱られる!そばのせいろはなぜ上げ底? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!そばのせいろはなぜ上げ底?
について情報発信させていただきました。