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消えた天才!小平奈緒が憧れ目標にしてきた天才は誰?今の職業は?

こんにちは!

TBS”消えた天才”で平昌オリンピック女子スピードスケート500m金メダリスト
小平奈緒さんが憧れ続けた天才スケーターは誰?今の職業は?が放送されました。

しかし天才は、なぜかオリンピックだけは勝てなかったそうです。

その意外な理由が明らかにらったのが気になったので調べてみました。

 

消えた天才!小平奈緒が憧れ目標にしてきた天才は誰?

左が小平奈緒さんです、右は友人の韓国スケート選手 李 相花(イ・サンファ)さんです。

 

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もっとゆっくり話したかったし、一緒に買い物とか美味しいものとか食べたりしたかったんですが、明日も練習が待っているので、長野に戻ります👋😭 奈緒は練習ばっかりって言われそうだなぁ😅多分呆れられてます😃 おもてなしできなくて本当にミアネヨ🙏💓いつか必ず❗❗ 五輪後に、サンファとまた会えて良かったです😊元気そうでした🙆でも、やっぱり平昌五輪までに費やしたものの負担はまだ沢山残っているんだなぁと😣 サンファの苦しさはサンファにしか分かり得ないけど、気さくに話せる日本の友達はずっとサンファのミカタです😊🍀 お互いに思いやる、慮る。 そういう想いが私達の間にはあるような気がします。 貸し借りではなく、その時の思い遣り。損とか得じゃないあたたかさを、私は常に持っていたいと、サンファとの交流の中で日々考えさせられます。 サンファ、ありがとう❗ まずはゆっくり自分の時間を楽しんで🎵 #なおさんふぁ #サンファナオ

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番組内で小平奈緒さんは

「先輩を超えるために必死になっていました。」
「私が言うのもおこがましいですが、確かに天才だと思います。」

と天才のことを憧れの先輩として話されていました。

 

当時、日本女子スピードスケート1000m競技の世界選手権で
世界の強豪選手と渡り合える選手は天才以外いなかったそうです。

 

そんな中、その憧れの先輩が登場して衝撃の光景を!
目にされたそうです。

 

レースの序盤は相手と一進一退でしたが
後半になるにつれて天才はどんどん加速し
とんでもない速さで一気にゴール!
天才は世界の強豪選手を抑えて銀メダルを
獲得されたそうです。

 

そんな世界選手権で世界と渡り合っていた
憧れの天才を小平奈緒さんはビデオで
何度も何度もくり返して見ていたそうです。

 

そんな天才について冬季オリンピック4大会連続出場経験のある
オリンピック銅メダリストでスピードスケート界のレジェンド
橋本聖子さんも天才のことを

「まさに天才!今までで1番かもしれない。」
「スケーティング、そのもがパワフルなんですけれど
雰囲気で言うと、金メダリストの清水宏保選手の女性版!
才能は抜群です」

と話されていたそうです。

 

当時、天才が26歳で出場した
スピードスケート日本選手権女子1000mで対戦相手は
のちにオリンピック2大会連続出場をした当時20歳の
大菅小百合選手との試合で
天才は圧倒的な力を見せつけたそうです。

 

レースが始まって最初の200mは ほぼ同じタイムだったのですが
ここからの天才がすごかったそうです。

 

じょじょに加速して600mを通過するときには
大菅小百合選手に大差をつけていたそうです。

 

さらに天才は加速を続けてゴールしたそうです。

 

結局、天才は大菅小百合選手に
3秒以上の大差をつけて圧勝されたそうです。

 

のちにオリンピックに出場する選手を圧倒する天才とは?

 

その方の名前は 三宮恵利子(さんみや えりこ)さんです。

消えた天才!三宮恵理子とは?

右の方が現在の三宮恵理子さんです。

三宮恵理子さんのプロフィール

出身地 :北海道釧路市

生年月日:1974年9月19日(44歳)

経歴  :北海道釧路星園高等学校 → 富士急行

現職  :スケートコメンテーター、ローカルタレント

 

現在、三宮恵理子さんは
12年前プロスノーボーダーの長岡英明さんとご結婚されて
軽井沢に住んで見えるそうです。

 

お嬢様が二人いる幸せな家庭を築かれているそうです。

 

女子スピードスケート選手時代はショートカットでかわいらしかったので
美女アスリートとしても話題になったそうです。

 

しかし、その実力がとんでもなかったそうです。

 

23歳で女子1000m日本記録をたたき出すとともに
24歳で長野オリンピックに出場して8位入賞
その時のコメントは

「ビックリしました。ただ無心で滑っただけなんでよかったと思います。」

だそうです。

 

当時小学5年の小平奈緒さんは
地元長野で長野オリンピックをテレビで応援されていたそうです。

 

三宮恵理子さんの滑りをテレビで見ていた小平奈緒さんは

「長野オリンピックをみて
 こういう夢の舞台でいい滑りができたらスゴク楽しいだろうな」

と思い描いたそうです。

 

小平奈緒さんは それまでは習い事感覚でやっていた
スケートでしたが三宮恵理子さんの活躍を見て
本格的にスケートに取り組み始めたそうです。

 

小平奈緒さんにとって三宮恵理子さんは憧れのスーパースターだそうです。

 

小平奈緒さんには、こんなエピソードもあるそうです。

 

それは 小平奈緒さんが小学生のとき
三宮恵理子さんのサインが欲しくて
とあるスケート会場に行ったときのこと
サインをもらおうと出待ちをしていたとき
目の前に現れた憧れの存在でしたが
恥ずかしがり屋のために「サインをください」と
言えなくてもらうことができなかったそうです。

 

とその時、「サインじゃないの?私のでいいの?」と
三宮恵理子さんが話しかけて持っていた色紙に
サインをしてくれたそうです。

 

この時が、小平奈緒さんと三宮恵理子さんは初めて出会いました。

 

そのときの印象は

「そっと歩み寄ってくれてサインを書いてくれたこと、
そういう優しさを持ちながら
リンクに立つとカッコイイ姿が記憶に残っています。」

ということでした。

 

消えた天才!三宮恵理子さんが消えた理由は?

小平奈緒さんの憧れの三宮恵理子さんは
活躍の場を世界へとひろげたそうです。

 

25歳でワールドカップ優勝して世界一に輝くと
2001年の世界選手権でも好調をコープして銀メダル
を獲得されていたそうです。

 

そんな 三宮恵理子さんに日本中が期待したそうです。

 

当時のことを 橋本聖子さんは

「1000mは負けなしで
オリンピックのサイクルに合えばダントツの金メダルだろうな」

と思われたそうです。

 

しかし、日本中が三宮恵理子さんに期待して迎えた
2002年ソルトレイクオリンピックに出場するも
メダルはおろか、結果は17位で惨敗だったそうです。

 

世界大会では結果を出し続けていた三宮恵理子さんが
「なぜオリンピックだけ勝てないのか」ということに
メディアは「生まれてくる時代を間違えた」と報じたそうです。

 

17年後の今、真相が語られたそうです。

 

三宮恵理子さんはオリンピックで惨敗した
その時、泣き崩れたそうです。

 

オリンピックなんてなくなったらいいのにとも思われたそうです。

 

三宮恵理子さんはオリンピックのときケガをしたわけでも
なく調子が悪かったわけでもないそうです。

 

ではなぜ?

 

その理由は小平奈緒さんにもわからないそうです。

 

それはまさかの理由でした。

 

理由は、レース会場にあったそうです。

 

日本選手権のときは屋外リンクで
オリンピックは屋内リンクでした。

 

実は三宮恵理子さんは屋内リンクが何となく苦手がったそうです。

 

もともと、三宮恵理子さんはパワーがあったので
外のリンクの方がパワーで押しきれるので得意だったそうです。

 

実は、屋外リンクは風・雨・雪などの厳しい状況下でも
レースは行われたそうです。

 

そのためパワーのあるスケーターにはとても有利だったそうです。

 

自然の影響を受けない屋内リンクになると
パワー重視の三宮恵理子さんは、そのアドバンテージを
活かせず勝てなくなったそうです。

 

当時スピードスケートの試合会場は選手の条件を
同一にする屋内リンクに移行する過渡期で
オリンピックは他の世界大会に先駆けて
屋内リンクに統一されていたそうです。

 

そのため、三宮恵理子さんはメディアから

「生まれてくる時代を間違えた」

「真価は屋外 悲運の三宮」

と報じられたそうです。

 

その後、三宮恵理子さんは屋内リンクを克服しようと
焦るあまりに自分本来の滑りを見失い惨敗していったそうです。

 

この現実に 三宮恵理子さんは

「もう放っておいてくれ!全てから逃げたかった」

と思われたそうです。

 

でも、今までスケートに人生を捧げてきたため
スケートを嫌いになれず解説者になって
スピードスケートの世界にとどまることにしたそうです。

 

三宮恵理子さんの経験が小平奈緒さんに影響を与えているそうです。

 

それは、小平奈緒さんが当時27歳で出場した
ソチオリンピックでのことだそうです。

 

実はこの時、小平奈緒さんはメダルは
確実と言われていました。

 

しかし、500mに出場するも結果はおしくも5位でした。

 

その時の小平奈緒さんのコメントは

「ここをスタートラインだと思って
 もっと上を目指して頑張っていきたい。」

でした。

 

手が届くと思っていたメダル、自分に何が足りないのか、再びリベンジに燃えたのですが、その焦りからなのか思うような記録が出せませんでした。

 

そこで小平奈緒さんが向かったのは、ずっと目標にして憧れの三宮恵理子さんのところでした。

 

小平奈緒さんに三宮恵理子さんが一言伝えたのは「焦っちゃダメよ 実力はあるんだから」でした。

 

それはかつてオリンピックで結果を出そうとスケートを見失い大きな後悔を残した三宮恵理子さんだからこその言葉だったそうです。

 

三宮恵理子さんは小平奈緒さんに自分がソルトレイクオリンピックのときのようになって欲しくないと思い会場におとづれるたびに、小平奈緒さんに声をかけ続けたそうです。

 

ときは流れて4年後の平昌オリンピックで小平奈緒さんは女子スピードスケート史上初の金メダルを獲得されました。

 

三宮恵理子さんに小平奈緒さんと関係を聞くと

「リンクに行ったときに話をするくらい」

だそうです。

 

三宮恵理子さんに小平奈緒さんの憧れの選手だったことを聞くと

「知りませんでした! ビックリしました!」

と言われたそうです、これはビックリですね!?

 

実は、三宮恵理子さんが小平奈緒さんの憧れの選手だったことを
知ったのはかなり最近のことのようです。

 

それは2018年の平昌オリンピックが終わった直後
三宮恵理子さんはお嬢様たちをつれて試合会場に向かわれたそうです。

 

すると、そこに小平奈緒さんの姿があったそうです。

 

三宮恵理子さんのお嬢様たちは小平奈緒さんの大ファンで
サインが欲しくて小平奈緒さんのもとに行かれたれたとき
お嬢様が

「オリンピックかっこよかったです。
 小平選手が一番すごかった。」

と言ったとき、小平奈緒さんは

「あなたたちのママの方がもっとすごかったんだよ。
 私はずっとあなたたちのママに憧れていたの」

と小平奈緒さんの話を聞いて知ったそうです。

 

それを聞いて、三宮恵理子さんは

「私のことをそういう風に思っていたんだな
 ということはありがたく嬉しかった」

と思われたそうです。

 

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消えた天才!三宮恵理子さんの今の職業は?

三宮恵理子さんはスケート選手引退後
スケートコメンテーターをしながら
驚きの転身を遂げていたそうです。

 

それは、カーレーサーでした。(ビックリですね。)

 

6年間レーサーとして活躍!

 

現在は、橋本聖子さんが会長を務める
日本自転車競技連盟で理事となって
東京オリンピックに向けて活動を
されているそうです。

 

それでも、気になるコトがあるそうです。

 

それは、自分の背中を追い続けてきた小平奈緒さんが
500mと1000mの世界記録を出して欲しいことと
オリンピック連覇をはたして欲しいそうです。

 

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消えた天才!小平奈緒が憧れ目標にしてきた天才は誰?今の職業は? まとめ

いかがでしたでしょうか!

今回は”消えた天才!小平奈緒が憧れ目標にしてきた天才は誰?今の職業は?”
について情報発信させていただきました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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