8月23日放送のチコちゃんに叱られる!で
パラリンピックの「パラ」ってなに?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!パラリンピックの「パラ」ってなに?
パラリンピックの「パラ」ってなに?
答えは、パラプレジアの「パラ」
詳しく教えてくださるのは
内閣官房 東京オリンピック・パラリンピック
推進本部事務局長
平田 竹男 先生(ひらた たけおてつふみ)
- パラリンピックのパラはパレプレジアという言葉だそうです。
- パラプレジアのパラとオリンピックを掛け合わせた言葉がパラリンピックという言葉だそうです。
- パラプレジアとは下半身まひという意味だそうです。
- 初めは下半身まひで車イスに乗る人だけが参加する大会とされていたそうです。
- その起源は1948年イギリスのとある病院で行われたそうです。
- イギリスのとある場所で行われたアーチェリーの競技会だと言われているそうです。
- 1948年ロンドンオリンピック。
- これに合わせてロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で第二次世界大戦で負傷した軍人たちがリハビリの成果を競い合う、アーチェリーの競技会が開催されたそうです。
- この競技会は「ストーク・マンデビル大会」と呼ばれ1948年以降、毎年この病院で開催されていたそうです。
- 次第に世界各国から車イスの選手が集まるようになったそうです。
- 1960年「オリンピック開催都市でストーク・マンデビル大会を行おう」と大会委員が決めたそうです。
- こうして毎年ストーク・マンデビル病院で行われていた大会は1960年「ローマオリンピック」に合わせてローマで開催されたそうです。
- この大会はオリンピックにあやかって下半身まひを意味する「パラプレジア」と「オリンピック」を掛け合わせた「パラプレジックオリンピック」という愛称が大会関係者の間で使われていたそうです。
- 公式にパラリンピックという名前に開催されたのは1964年東京で開催された大会が初めて。
- 大会実現に尽力した人物は、日本パラリンピックの父中村裕さんだそうです。
- 大分県で医師をしていた中村さんは当時、最先端のリハビリ技術を学ぶため1960年にストーク・マンデビル病院に留学したそうです。
- そこで「スポーツによるリハビリに感銘を受け1964年の東京大会を日本における障がい者スポーツ発展のための第一歩にしようと決意したそうです。
- 順当にいけば1964年にストーク・マンデビル大会が東京で行われる予定のため中村さんは発起人となり大会準備委員会を立ち上げ開催に向け奔走したそうです。
- しかしこの大会を東京で開催することに必ずしも世間医療界の評価も良いものではなかったそうです。
- 障碍者がみんなの前でスポーツ大会をすることはおよそその頃の日本では考えられなかったそうです。
- そこで中村さんは東京大会開催予定の2年前1962年のストーク・マンデビル大会に自身に患者さん2人に参加してもらい「障がい者でもスポーツはできる」とアピールしたそうです。
- 中村さんの熱意に押され、準備委員会のメンバーはこの大会の名前を「パラリンピック」とし公式に打ち出すことを決めたそうです。
- そして、11月8日、織田フィールドには参加22か国の国旗が翻りパラリンピックの開会式がはじまったそうです。
- 東京オリンピック終了から15日後、144種目およそ370人ものが参加したそうです。
- しかし東京大会以降「パラリンピック」という名前はしばらく使われず、オリンピックと同じ都市での開催も送られてきたそうです。
- 再び同じ都市で開催されたのは1988年のソウルだそうです。
- この時、東京大会で初めて使われた「パラリンピック」の名前が正式名称になったそうです。
- オリンピックと並行してという意味の「パラレル」へと解釈が変更され、日本が大会名として以降継続して使われていくこととなったそうです。
- 東京で生まれた「パラリンピック」は来年、56年ぶりに東京に戻ってきます。
チコちゃんに叱られる!パラリンピックの「パラ」ってなに? まとめ
今回は、チコちゃんに叱られる!パラリンピックの「パラ」ってなに?
について情報発信させていただきました。