5月22日放送のチコちゃんに叱られる!で
てるてるぼうずって何者?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!てるてるぼうずって何者?
てるてるぼうずって何者?
答えは、自らの命を犠牲に街の人々を救った 悲劇のヒロイン
詳しく教えてくださるのは
どっこいしょでおなじみ
富士山 曹洞宗 宝林寺 住職
千葉 公慈 先生(ちば こうじ)
- 以前「どっこいしょ」の由来を教えていただいた際は…
- 六根清浄(どっこんしょうじょう)が「どっこいしょ」の起源と押してくださりました。
- てるてるぼうずの起源は もともと中国にあった ある風習が日本に伝わって…
- それが民間信仰として 広まったと言われています。
- 江戸時代の子供の日常を描いた「幼稚遊昔雛形」(1844(天保15・弘化元)年)」には…
- てりてり坊主と紹介されています。
- 呼び名は 天を照らす法師 → 天照る法師 → 照り照り法師 → 照る照る法師 → てるてるぼうし → てるてるぼうず となったのではないかと言われています。
- ご住職の得意技はともかく てるてるぼうずの起源とされる 中国にあった ある風習とは?
- 江戸時代に活躍した儒学者 榊原 篁洲(さかきばら こうしゅう)の
- 資料「榊巷談苑(しんこんだんえん)」によると…
この国(日本)の女たちは
雨が降りやまないときに
照法師というものを作って
晴れを祈る
唐の国では掃晴娘(サオチンニャン)という
- 掃晴娘(サオ・チン・ニャン)?
- これが その 掃晴娘です。
- この切り絵は 晴娘(チン・ニャン)という少女を模した人の形なんですね。
- かつて 中国の北京郊外には 雨が続いたりすると…
- 晴れを祈って門の先に晴娘を模した切り絵をぶら下げる
- その風習を挂掃晴娘(グアサオチンニャン)といいますが…
- その風習が元ではないかという説があります。
- てるてるぼうずの起源は 両手に持った ほうき で雨雲や災いを追い払ってくれる少女。
- 晴娘だったのです。
- では その晴娘 とはいったい 何者なのか?
- そこには ある悲しい物語がありました。
- その昔 北京にたいそう美しい晴娘(チン・ニャン)という女の子がいました。
- 晴娘は頭が良く 手先が器用で切り紙が得意でした。
- ある年の6月 北京には来る日も来る日も大雨が降り続きました。
- 街は1mもの水に浸かり人々は 困り果てました。
- ある夜 晴娘は 雨が降り続く 天に向かって 祈りました。
- すると 突然大きな音が響き渡りました。
- 「雨を降らせる力を持つ 雨の神が そなたを 妃にとおっしゃっている」
- それは 天からの遣いの声でした。
- 街の人々を救うため 天の命令に従うと心に決めました。
- 次の瞬間 強~い風が 吹き抜けました。
- そして 風が過ぎ去ったあと…
- そお~と目を戻すと そこには もう 晴娘の姿はなく
- 空は 一面 晴れ渡っていたのです。
- その空の向こうで 晴娘はどんな暮らしをしていたのかわかりません。
- てるてるぼうずに隠された 悲劇の物語。
- それは 単なる作り話なのでしょうか?
- 中国に限らず 世界の古代社会においては 自然の荒ぶる神をなぐさめるため…
- あるいはおだやかな天候を願うために人身御供(ひとみごくう)として 女性や あるいは子供をお供えするというような 儀式があったものと考えられます。
- 天気は あるいは自然の恵みは 当たり前ではなく 多くの願いや犠牲の元に成り立っているいるんだということを 昔の人は 言い聞かせてたんではないでしょうか。
- 自らの命と引き換えに街の人々を救った少女のことを忘れてはいけないと 挂掃晴娘(グアサオチンニャン)の風習は語り継がれているのかもしれませんね。
- では 切り絵だった 掃晴娘(サオチンニャン)が どうして 白いてるてるぼうず の姿になったのでしょうか。
- 仏教の伝来と共にご祈祷は お坊さん 男の人になっていったと考えられます。
- その お坊さんや修験道を修行する方々は 白装束ということで お坊さんの姿をした白い着物の人形になっていったと考えられます。
- 頭の形も どこかお坊さんに似てますかねぇ。
- そう考えてます。
チコちゃんに叱られる!てるてるぼうずって何者? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!てるてるぼうずって何者?
について情報発信させていただきました。