2月25日放送のチコちゃんに叱られる!で
卒業証書を入れる筒はなぜあの柄?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!卒業証書を入れる筒はなぜあの柄?
卒業証書を入れる筒はなぜあの柄?
答えは、小林さんがオシャレだったから たぶん
詳しく教えてくださるのは
卒業式の歴史に詳しい
立教大学 文学部 教授
有本 真紀 先生(ありもと まき)
- 昭和30年頃までは卒業証書を筒には入れないで丸めた状態で持ち帰っていました。
- 卒業証書を渡すようになった明治時代までさかのぼってみると…
- 明治時代に渡された本物の卒業証書を見てみると明治時代の中頃までは縦長に4つ折りにして かけ紙をかけたりして渡していました。
- それが明治30年ごろからは証書を丸めて渡す形に変化します。
- 実際に当時の卒業記念の集合写真を見てみると卒業証書を裸で丸めて持っています。
- それは明治から大正・昭和30年になっても続きあの柄の筒は見当たりません。
- しかし1960(昭和35)年 大阪府のある女子高で撮られた卒業式の写真を見るとあの筒が?
- 番組D「あの筒は昭和30年から35年の間に作られたということですか?」
- 有本先生「しらべましたが チコちゃんごめんなさい わかりませんでした」
- 番組D「それでは先生 なぜあの柄なんですか?」
- 有本先生「なんであの柄になったかは調べようがないです」
- 先生によると なぜあの柄になったのかという資料は残っていないとのこと。
- 途方に暮れたスタッフ 頼るのはやっぱりインターネット。
- ※安易とのご批判は甘んじて受けます。
- 気になる新聞記事を発見!
- その記事には なんと あの柄はワニ革の柄だと書いてあります。
- なぜワニなのか?
- ワニ柄の筒を考案したという小林丸筒製作所に問い合わせてみると…
- ぷるるる…ぷるるる…ぷるるる…ぷるるる…ぷるるる…電話に出ない。
- 電話に出ないなら出向くまで。
- スタッフは地図を調べ 製作所へ向かいました。
- 番組D「ここってこと?」
- たどり着いた先は 製作所はおろか何もない更地。
- 藁にもすがる思いで もう一度 電話をかけてみると…
- 「はい もしもし」
- 出た!
- 番組D「小林丸筒製作所さんですか?」
- 「そうです」
- 番組D「地図を調べて製作所のほうまで行ったんですけど あの何もないんですけど」
- 「あぁそうなんですね 実は去年 更地にしてしまいましてね 会社のほうも やめてしまったもんですから」
- 番組D「えっ! そうなんですか」
- 「はい」
- ということで 後日あらためてお話をうかがいに。
- ワニ柄の丸筒を考案した製作所 創業者の御子息 小林 國雄(こばやし くにお)さん。
- 卒業証書を入れるワニ柄の筒を最初に作ったのは 小林さんの製作所で間違いないですか?
- はい 私の父 信雄が作りました。
- ワニ柄の筒を作ったのは國雄さんの父 小林 信雄(こばやし のぶお)さん。
- ワニ柄の筒が出来た当時は 私もまだ生まれてませんから推測でしかないんですが たぶんとしか言えないですね。
- NHK本当にたぶんこうだったんじゃないか劇場 クロコダイルダンディー ~ワニ柄の筒 誕生物語~
- 1935(昭和10)年 東京・墨田区。
- もともと箱作りの職人だった信雄。
- 41歳のとき 筆・半紙などの学用品や賞状を入れるための丸筒を作る製作所を始めました。
- 近所の奥さん「あ~ら! 信さん お出かけかい?」
- 信雄「ええ」
- 近所の奥さん「散歩に背広なんて まぁ 本当にオシャレだねぇ いい男で!」
- 父はオシャレが好きな人でしたね。
- 年に何度かは仕立屋さん呼んで 服を新調して どこに行くにも出るときはビシッとキメてました。
- たぶんモノづくりに こだわっていた人だったから身の回りのものに関しては すべてこだわっていました。
- 本当にオシャレだったと思いますよ。
- 創業当初に作っていたというのが 布ような質感の無地の紙で作っていた黒い筒だそうです。
- 子どもたちの習字用具入れに使われていた丸筒。
- 後の卒業証書を入れる筒の原型を作っていたのです。
- コツコツと丸筒を作り続けていた信雄。
- しかし 第2次世界大戦が勃発。
- 好きなスーツを着ることもできず 贅沢は敵とオシャレが禁じられた混乱の時代。
- 信雄は製作所を必死に守りました。
- そして1945(昭和20)年 戦争は終わりました。
- 近所の奥さん「あら! 信さん 久々のおめかし やっぱオシャレはいいわねぇ カッコいいわぁ~」
- 信雄「も~どんなシャレたもん着たって文句を言われることもない この筒だってもっとシャレたもんにできないかなぁ?」
- 平和と自由を謳歌しようとする時代の幕開けに オシャレで飽きのこない筒を作りたいと思い立った信雄ですが。
- 試作品をいくつかつくっても納得のいくシャレたモノができませんでした。
- 信雄「シャレてねぇ!」
- 新しい筒のアイデアがなかなか思いつかずにいた ある日。
- 仕立屋「ごめんくださ~い 信雄さん仕立て上がりましたよ」
- 信雄「待ってました シャレてんなぁ」
- 仕立て上がったスーツを手にする瞬間 信雄が手にしたのはスーツが入っていたワニ革柄の箱。
- 昭和の初めに日本に入ってきたワニ革。
- 高級素材として男性の間で流行し 小銭入れをはじめ様々なアイテムが作られました。
- 高級でオシャレなもの イコール ワニ革というイメージが定着。
- 高級だったオーダースーツの多くは 当時 高級でオシャレなワニ柄の紙が貼られた箱に入れられていました。
- 信雄「これだー!」
- たぶん戦争中いろいろ我慢していたこと たくさんあったと思うんです。
- たぶん衣装箱のワニ柄を見て たぶん父もオシャレに見えたんじゃないかなと。
- ワニ革柄の箱にビビッときた信雄は さっそくワニ柄の試作品を製作。
- 信雄「いいじゃねえかぁ~! シャレてんなぁ~!」
- 1945(昭和20)年 ワニ柄の丸筒 完成!
- その時 信雄の工場に文房具の卸問屋さんがやって来ました。
- 卸問屋「こんちは!」
- 信雄「この間 お子さん卒業式だったでしょ? お祝いしないとですねぇ」
- 卸問屋「それが あのバカ 卒業証書ビリビリに破きゃがって 家に置いとくのも邪魔だし なんかこう入れとくものありゃいいんですけどねぇ」
- その時 信雄が試作で作ったワニ柄の丸筒を目にした信雄と卸問屋さんが
- 信雄と卸問屋「あっ! これだー!」
- たぶん その問屋さんが学校用品の小売店さんに丸筒っていうのが戦後の新しい商品として猛プッシュしていたいただいたおかげで たぶん卒業証書入れとして丸筒が関東圏から全国に広がっていったんじゃないかなと思います。
- たぶん ですけどね。
- その後 ワニ柄の筒は高級感があると口コミで広がり…
- 第1次ベビーブームの子どもたちが小学校卒業を迎えた昭和30年代に入るとワニ柄の丸筒はバカ売れ。
- 全国の学校へと広まり定番となったのではないかと思われます。
- 数十年後 春。
- いつものようにオシャレにスーツを着込んで散歩中の信雄が目にした光景は…
- 桜並木で桜の花びらがヒラヒラと舞っている中 卒業式の帰り道 両親と歩く少女の姿でした。
- 手にはワニ柄の丸筒。
- それを見た信雄は…
- 信雄「やっぱシャレてんなぁ~」
- 信雄の上には あの終戦の日と同じ青空が広がっていました。
- 実は今回のVTRは2月上旬の撮影で満開の桜の枝を持ったスタッフと桜の花びらを降らせていたスタッフ。
- 番組D「いかがでしたか?」
- 國雄さん「たぶんこうだったんじゃないですかね 近所のお年寄り連中は 父のファンの方が多かったってことは聞いてますけど いいと思います ありがたいです」
- 卒業証書を入れるものは丸筒以外にも現在は角形の筒とか見開きのブック式などがあります。
- で 実は小林さんもブック式を作ってみたらというふうに提案されたことがあるそうなんですけれども「丸筒以外は作る気がない!」とかたくなに断って生涯 丸筒だけを作り続けたということです。
チコちゃんに叱られる!卒業証書を入れる筒はなぜあの柄? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!卒業証書を入れる筒はなぜあの柄?
について情報発信させていただきました。