6月11日放送のチコちゃんに叱られる!で
なぜおじぎをする?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!なぜおじぎをする?
なぜおじぎをする?
答えは、学校教育に武士の作法を取り入れたから
詳しく教えてくださるのは
2度目の登場
民俗学者
神崎 宜武 先生(かんざき のりたけ)
- 頭を下げるということに辿っていけば 世界中で神様に対しての礼儀ということで行われてきたといえます
- 神様に対して頭を下げる行為は古くから世界中のさまざまな宗教や信仰において行われてきました
- ところが…
- 日常的に人間同士がおじぎを交わすという これは日本独特の展開だといっていい
- 海外スポーツを見て実感する日本独自の習慣 おじぎ は どのように発展していったのでしょうか?
- 平安時代に伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)というのがありまして 目で確かめられるということではこれが一番古いと思います
- ということで様々な文献を紐解き日本のおじぎが平安時代以降どう変化してきたのか再現していきます
- おじぎの最古の記録とされる平安時代の伴大納言絵詞に登場するのは 放火の疑いをかけられた左大臣の源信(みなもとのまこと)が 自らの無実をお天道様に祈る瞬間
- 両ひざをついて足はつま先立ち 足の裏がハッキリと見えるこの形が日本のおじぎの原型と言われる跪拝(きはい)です
- かつては神様・仏様に対してだけというのが文献や絵図では辿れるわけですね
- ところが鎌倉時代になり 武士が国を治めるようになると 頭を下げる動作は人間に対しても使われるようになります
- 武家社会が身分制度 それから秩序制度 そういう物を重んじてきた
- 戦や武力闘争に成立した武家社会は 厳しい身分制度や規律によって世の安定が保たれていました
- こうした社会の中でおじぎは細分化していきます
- 場合によって対人関係によって おじぎを使い分けるということが出た
- 例えば 武家の礼法の一つ 小笠原流では九品礼(くほんれい)と呼ばれる9種類のおじぎがあります
- 天皇や将軍のみに許される目の動きだけで行う 目礼(もくれい)
- 同じく天皇や将軍が行う 首礼(しゅれい)
- 目上の人の話を聞くときは 指建礼(しけんれい)
- 同じく目上の人の話を聞くときの 爪甲礼(そこうれい)
- 身分の高い人が行う 折手礼(せっしゅれい)
- 同じ身分の人に用いる 拓手礼(たくしゅれい)
- 同じ身分の人に対する深い礼は 双手礼(そうしゅれい)
- 目上の人に対する深い礼は 合手礼(ごうしゅれい)
- 神仏に対しては 合掌礼(がっしょうれい)
- こうして武家社会ではあいさつをする相手や場面によっておじぎを使い分け 秩序を保っていたといいます
- ただし これは あくまで座敷で行う座礼(ざれい)です
- 座敷の礼儀作法と屋外の礼儀作法は違うますね
- 例えば江戸時代の参勤交代
- 大名行列が通る際には誰もが土下座をして 地面にひれ伏したと思いがちですが 実際はそうではなかったといいます
- 大名が近づいてきたら 大名を前に いわゆるヤンキー座り
- というのも屋外でのおじぎの作法は決まっていなかったのです
- 土下座というのが 小説とか映画とか そこで出てくる姿勢なんですね
- だいたい地面が雨の後なんかだと土下座なんかできるわけないですから
- しかし 明治時代になると現代のおじぎにつながる大きな変化が起こります
- 畳中心だった生活から イスを使うようになった頃 武士の作法であったおじぎは 庶民の生活にも取り入れられていくのです
- 座った礼を立った礼にする 立礼(りゅうれい)というのが出てくるんです
- 1882(明治15)年 学校教育の礼儀を記した小学緒礼式(しょうがくしょれいしき)には 立礼のに作法が書かれています
- 立礼に 最敬礼 及び 敬礼の二つあり
- 最敬礼は帽を脱して 左の脇に挟み 腰をかがめ 右手を膝に当て拝す
- 帽を着せざる時は腰をかがめ 両手を腰の上に当て 拝す
- 敬礼は帽を脱して 少し傾く
- 帽を着せざるときは それ 頭を傾くのみ
- 江戸時代に200以上あった藩を1つの近代国家にまとめる際 全国民共通のあいさつとして 学校で教えられたのがおじぎでした
- 起立 礼 着席
- こうして 武家社会の作法だった おじぎが学校教育に取り入れられ庶民の生活に広く浸透していったのです
チコちゃんに叱られる!なぜおじぎをする? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!なぜおじぎをする?
について情報発信させていただきました。