1月31日放送のチコちゃんに叱られる!で
なぜお肉屋さんでコロッケを売っている?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!なぜお肉屋さんでコロッケを売っている?
なぜお肉屋さんでコロッケを売っている?
答えは、洋食のコックさんがお肉屋さんに転職したから
詳しく教えてくださるのは
創業93年コロッケ発祥の店
東京・銀座 チヨウシ屋 3代目
阿部 光雄 先生(あべ みつお)
- お肉屋さんでコロッケを売り出したのはチヨウシ屋が最初だと聞いているそうです。
- もともとコックをやっていた阿部さんの祖父が肉屋に転職してコロッケを売り始めたそうです。
- その祖父とは、阿部 清六(あべ せいろく)さんだそうです。
- 清六さんの執念みたいなものが肉屋でコロッケを売るキッカケになったそうです。
- 千葉の1917(大正6)年 たった一人で千葉の調子から上京した阿部清六(当時15歳)はコックの見習いとして都内の洋食屋さんで働いていいました。
- ある日、洋食を食べに来ていたい子どもが母親に、「ぼくもコロッケが食べてみたい」とい言うと母親は「ダメよ、そんな贅沢はできませんよ」という会話を聞きたそうです。
- 清六は「子どもたちに安くておいしいコロッケをおなかいっぱい食べさせてあげたい」と思ったそうです。
- 当時、コロッケはジャガイモを使って家庭で作られることもありましたが…
- 洋食屋さんで出されるクリームコロッケは高級で庶民には手が届かないご馳走でした。
- そこで 清六は洋食屋さんでも出せる おいしいジャガイモのコロッケを作ろうと開発は始めました。
- そして1年後 さらに1年後、清六が2年かけて作りあげた 安くておいしいコロッケ。
- ジャガイモとひき肉を使った このコロッケは晴れて店のメニューにも採用されました。
- 清六は「いつか自分の店を持ったら この安くておいしいコロッケを看板メニューにしよう」と考えたそうです。
- しかし そんな清六の思いを打ち砕く出来事が起きます。
- 1923(大正12)年 関東大震災
- 清六が働いていた洋食屋さんも倒壊しました。
- 全てを失ってしまった清六(当時21歳)
- しかし 清六はあきらめなかったそうです。
- 清六は「俺は自分の店でコロッケを出すんだ でもまずはなんでもいいから仕事をしなくちゃ…」と考えました。
- 決してあきらめない男 清六は 当時比較的復興が早かったお肉屋さんで働き始めたそうです。
- コックからお肉屋さん 予期せぬ転職でした。
- そしてコツコツと働くこと3年後の1926(昭和元)年に300円をためることができました。
- 労働者世帯の平均月収 約100円の時代です。
- 清六は洋食屋を始めたかったのですが…
- 洋食屋さんを開店するには食器 テーブル イス 従業員など多額の資金が必要になります。
- そこで清六(25歳)は洋食屋さんではなく小さなお肉屋さんを1927(昭和2)年に始めることにしたそうです。
- 開店当時の写真を見ると店先にはコロッケの張り紙 その隣にはオムレツの文字が…
- 頼まれればカレーライスも作ったそうです。
- 清六は「イスやテーブルが置けなくても火と鍋さえあれば洋食屋のメニューは作れるでしょ 肉屋がコロッケやオムレツを作っちゃダメなんて誰が決めたわけでもないですからね」と言っていたそうです。
- こうして 一人のあきらめの悪い男がお肉屋さんなのにコロッケを売り始めました。
- すると お客さんがたくさん買いに来てくださって かなり長蛇の列で 釣り銭が間に合わないので「お金はピッタリ出して」と頼んで売っていたそうです。
- 清六のコロッケはクリームコロッケの8分の1ほどの値段で安くておいしいとたちまち評判になりました。
- クリームコロッケ 20銭(現在の約130円)
- 清六のコロッケ 2銭5厘厘(現在の約16円)
- さらに 安くておいしいコロッケを大勢の方に食べてもらいたいという気持ちが強かったので そのコロッケの作り方を 他の同業のお肉屋さんにも全部教えて公表しちゃったそうです。
- こうして安くておいしいコロッケは日本中のお肉屋さんの間に広まり各地で売れに売れたそうです。
- 一人のあきらめの悪い男によって日本はお肉屋さんでコロッケを売っている不思議の国なったのです。
- 晩年までお肉屋さんの店頭でコロッケを上げ続けた清六 その服装はいつもワイシャツにネクタイ…
- 決してコックの誇りを忘れることはなかったそうです。
チコちゃんに叱られる!なぜお肉屋さんでコロッケを売っている? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!なぜお肉屋さんでコロッケを売っている?
について情報発信させていただきました。