4月8放送のチコちゃんに叱られる!で
カレンダーに「大安」や「仏滅」が書かれているのはなぜ?
という質問がありました。
チコちゃんに叱られる!カレンダーに「大安」や「仏滅」が書かれているのはなぜ?
カレンダーに「大安」や「仏滅」が書かれているのはなぜ?
答えは、”ヤミカレンダー”が作られたから
詳しく教えてくださるのは
暦の歴史について研究している
一橋大学 大学院社会学研究科 特任教授
下村 育世 先生(しもむら いくよ)
カレンダーに書かれている大安、仏滅といった記載は日の吉凶を占う”六曜”に基づいていて
六という数字の通り、先勝(せんしょう)、友引(ともびき)、先負(せんぷ)、仏滅、大安、赤口(しゃっこう)の6種類
六曜は14世紀頃に中国から伝来したもので、日本で独自解釈が加わった「1日のうちどの時間帯が吉で、どの時間帯が凶かを教えてくる占い」の事
【先勝】
午前が吉で午後は凶
【友引】
11時から13時のお昼の時間帯だけ凶
【先負】
午前中が悪くて午後は吉
【仏滅】
1日中凶なので何事も控えるべき日
【大安】
オールOKの日
【赤口】
11時から13時のお昼の時間帯だけ吉
実はこの六曜は江戸時代には既にマイナーになっていた占い方法で
例として1864年の江戸時代に作られたカレンダーを見てみると
「十二直」「二十八宿」「六十干支」
の3種類を含めて全5種類の占いのようなものが記載されている一方で、六曜の文字はどこにもないという状態
その理由が「シンプル過ぎるから」というのが一つ
この時代の人々はかなり占いを頼りに生活していたそうで、体の具合が悪かったとしてもその日の占いで凶が出ていれば医者にかかる日にちをズラして対応していたりとカレンダーに従って1日のスケジュールを決めていたとか
そうなると時間帯だけ占う六曜はちょっと説得力に欠けていたのでは?比較的新しい占いだったので好まれなかったのでは?と下村先生
確かに占いは複雑な要素が絡み合った方がいかにも当たりそうに感じられますしね。例えばコインを1枚投げて表か裏かでその日の吉凶を占うと言われても説得力に欠けるのは分かる気がします
ところがそんな陰の存在だった六曜は明治時代に入って文明開化が訪れると脚光を浴びる事に
この時代に行われた暦の改定により、それまで使っていた旧暦、太陰暦から西洋にならった太陽暦に変更されたのですが
この時、明治政府は「カレンダーにある吉凶占いは科学的根拠がない」という理由でことごとく禁止
ところがカレンダーに占いが載っているのが当たり前として生活していた人々はこれに不満を持ち、その結果生まれたのが
占い付きの闇カレンダー
という存在
闇カレンダーは業者が政府の許可を得ないまま違法に発行されたカレンダーの事で
占いがあった方が売れ行きが良かった事もあって、政府の取り締まりの目を盗んで色んな占いをどんどん追加
その流れに乗ってそれまでマイナーだった六曜も記載されるように
この政府によるカレンダー規制は明治6年から終戦まで続いたそうで、戦後になってようやくカレンダーの発行が自由化されることに
こうして第二次大戦後には自由に作られるようになったカレンダーですが、生活の近代化に伴って人々が占い頼りを辞めたことで、逆にそれまでの複雑な占いが省略
そこで生き残ったのがシンプルだった六曜
専門的な知識必要なし、種類は6つだけ、字だけで意味が分かるとシンプルがゆえにマイナーだった六曜がまさかの大逆転勝利
さらに結婚式は大安に、葬式は友引を避ける(友人を引き込むを連想)といったように冠婚葬祭業と六曜が強く結びついた事で
人生の大きなイベントの度に六曜が持ちだされてすっかり人々にも認知されたという事もポイント
最後に「字だけで意味が分かる」はずの六曜にあって”赤口”だけが異質ということで解説
赤口は赤舌神(しゃくぜつじん)という神様に6日に1度、鬼が門番としてつく日
普段は暴れまわっている鬼がおとなしいのがお昼なのでその時間帯が吉
実は仏滅よりも凶ととられる事も
赤口の赤から連想されるので「火の元、刃物(料理・散髪)」は避けるべき
総じて赤口は「赤い色の服は避けて、手づかみで火を使わない生ものを食べるべき日」
六曜の発祥や意味については諸説あり
チコちゃんに叱られる!カレンダーに「大安」や「仏滅」が書かれているのはなぜ? まとめ
今回は チコちゃんに叱られる!カレンダーに「大安」や「仏滅」が書かれているのはなぜ?
について情報発信させていただきました。